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「大阪教育大学の教養学部」から教師について真剣に考えてみた。

「大阪教育大学の教養学部」から教師について真剣に考えてみた。

こんばんは、satoです。
前の記事に「大阪には阪大、市大、府大の3つの(似たような名前の)国公立大学がある」、それ以外にも「大阪教育大学」があると書きました。今日はこの大阪教育大学、通称「大教大」(←山本山と同じように逆さから読んでも大教大…(笑))の「教養学部」をもとに記事を書きたいと思います。
そもそも、大教大に限らず、日本の教育大学(たとえば北海道教育大学とか)は「教員を養成する」ための学校です。だから、ここに入るということは「教員になる」ということが前提となっていました。ゆえに、大学の卒業用件には「教員免許の取得」がありました。
ところが、時は流れ教育大学を出ても「教員以外の仕事がしたい」と考える人が増えてきました。また、教師に「教養」が求められるようになりました。この流れに合わせて、教育大学に「教職科目以外の教養科目」が導入されました。大阪教育大学は教育大学の中で唯一「卒業用件に教員免許の取得を必要としない」教養学部が設立された国立大学です。
ヤコブの手紙3章1節
わたしの兄弟たちよ。あなたがたのうち多くの者は、教師にならないがよい。わたしたち教師が、他の人たちよりも、もっときびしいさばきを受けることが、よくわかっているからである。
この聖句にもあるように、教師は人を教える分、間違えて教えてしまった時の責任が大きくなります。だから、教師をやりたくない、と思う人がいるのは仕方ないと思います。
…でも。
それを言ってしまえば、結局仕事はできません。何故なら「仕事は必ず責任を伴う」からです。失敗してしまえば取り返しがつかないことになるのは皆同じ。
だから、仕事をするときには、二重三重の「チェック」があります。ミスをしてもそれをリカバーできるようにちゃんと作られているところが多いです。
それは教師も同じ。
自分が過ちを犯しても、先輩がフォローしてくれる。生徒が、保護者が助けてくれる。それに、外にも多くの助けがある。
残念ながら「モンスターペアレント」という言葉が普及してしまったように、教師に協力的でない保護者もいますが、それはほんの一部。多くの人は教師にも関心を向けてくれています。
何よりも…
自分が教えたことによって、その人の人生を良くできたら、その功績は大きいですよね!
鄭明析先生も皆から「先生」と呼ばれています。それは人生について、天について誰よりも知っているから、そしてそれを口で、あるいは行いで教えてくださるから、先生なのです。
先生の偉大なところは「ただ言葉で教えるのではなくすべて行いで示してくださる」ことです。これだけを聞くと世の中でも素晴らしい人はいるのですが…
でも、先生は神様の御言葉を実践しているのです。
人の言葉でもその通り行うのは大変です。(そうでなければ、今ごろスティーブ・ジョブズがどれくらいいるのでしょう…)
それなのに、人でない「神様の御言葉」を実践するのだから、それはどれくらい大変なことなのでしょうか。
先生の御言葉はどれも自らが経験して得たものです。先生が先にしてくださったから、私たちもその生を生きられます。
そういうことこそが「本当の教養」と言えるのではないでしょうか?
こんな「教師」に摂理で出会えて、本当に感謝だなと思います。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

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