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摂理と経済の恵み。~献金ってなに?~

摂理と経済の恵み。~献金ってなに?~

こんばんは、satoです。
突然ですが、最近新聞では「政治家の不正資金」の問題がよく取り上げられています。本当はこういう記事で盛り上がらない方がいいのでしょうが…。
こういうのをよくよく見てみると
政治家がお金を個人的にもらった、あるいは個人的に渡した
ということが問題になっているわけです。しかし、政治家だって「一人間」。お金をやりとりすることがあってもいいのでは?なぜこれが問題になってるのでしょうか?
…ということで、私は「政治献金」について調べました。
参考にしたのは「公明党の公式サイト」です。とてもわかりやすく、本質を突いていた気がしたので。
簡単に話すと「政治家が活動するための支援を目的としたお金」が政治献金です。
そもそも、政治活動をするにはお金がかなり必要です。ポスター作ったりとか、選挙に立候補するためにも多額のお金を支払わないといけません。(この辺りは昔読んだ「クニミツの政」という漫画からの情報です。うろ覚えですが…。)
しかし、政治家は働く暇もない。それではそのお金をどう確保するのか?
それは…その政治家の思想に賛同した人たちが支援してくれることによってです。つまり、政治献金とはあなたの政治を成し遂げる助けにしてほしいという想いが込められたお金なのです。(理想的には。)
ところで、政治家は「中立性」を保たなければならないとされています。それは「どんな人にも平等に権利を与えて、どんな人もきちんと生活できる国にする」という目的には必要なものです。
そんな中、もし「政治家にたくさん支援する代わりに、自分達に有利な政治を行うことを要求する」団体や個人がいたとしたら…その政治家はどうするでしょうか?また、逆に「あなたたちに有利な政治をしてあげるから、お金を支援してくれ」という政治家がいたら…。
もし、その人たちの要求を飲んでしまったら、社会のバランスが崩れて大変なことになってしまいます。
だから、「政治家個人には献金しない」とか「団体は政党に献金する」など献金には厳格なルールを取っています。
しかし、現状は先ほど挙げた問題がよく起こっています。若干「ある政治家を引きずり下ろすため」に使われているところがある気もしますが…。
そして、そうやって得た資金を「政治活動以外」で使う…こういうことをしたら、「その人を信頼して献金した人たちの気持ち」を裏切ることになりますよね。
こうやって、今日新聞に出ている資金問題が大きく取り上げられているのです。
めっちゃ大雑把に書きましたが…。
献金というものの本質が「その人を助けたい」という気持ちがお金となって現れたもの、ということはなんとなくお分かりいただけたのではないかと思います。
政治の献金と同じく、教会の献金も「神様に感謝して、なにか返して差し上げたい」という気持ちが本質なのです。だから、「多くのお金を献金して自分に有利に…」というものは献金の本質から外れている、そういう献金は神様が受け取らない、と鄭明析先生は御言葉で話されました。
お金に流れるは「互いの信頼関係、思いやり」です。
お金は元々「契約」のための道具として作られましたから。
その本質を忘れずに、そして感謝してお金を大切に使っていきたいですね。


こういう聖句ありますよね。
マルコによる福音書12章41-44節
イエスは、さいせん箱にむかってすわり、群衆がその箱に金を投げ入れる様子を見ておられた。多くの金持は、たくさんの金を投げ入れていた。ところが、ひとりの貧しいやもめがきて、レプタ二つを入れた。それは一コドラントに当る。そこで、イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた、「よく聞きなさい。あの貧しいやもめは、さいせん箱に投げ入れている人たちの中で、だれよりもたくさん入れたのだ。みんなの者はありあまる中から投げ入れたが、あの婦人はその乏しい中から、あらゆる持ち物、その生活費全部を入れたからである」。
金額の大小ではなく、真心が肝心。イエス様の時代もそうでした。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

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