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摂理人が体験したサークルの話。

摂理人が体験したサークルの話。

こんばんは、satoです。
昨日は月食でしたが、みなさん見れましたか?私は…月食のことを知らず見逃してしまいました(^_^;)
今日は月食ではありませんが、月がきれいに夜の街を照らしています。
…こういうのを見ていると、私が摂理に来る前を思い出します。
私が摂理に来る前、趣味の延長であるサークルに入っていたことがあります。そこでは発表会を定期的にするのですが、それ以外は自由な感じでした。
発表会前の練習はとても真剣に。だって、人に見せるものだから。お金を取るものだから。だから、本当に真剣です。
しかし、それ以外の活動は自由。何をしてもいいし、何もしなくてもいい。
また、よく飲み会やメンバーの家で夜を明かすこともありました。
私もメンバーの家で自分の好きなゲームをしていたり、絵を描いたり…と好きにしていました。そして、夜が明けるころか、その前に帰っていました。少し眠いけど、ゆったり月を見ながら帰る。それが「何もない」私にとっては居心地がとてもよかったんです。
正直言うと、私はその活動が嫌いではありませんでした。むなしさも感じず、というかむしろ「それでむなしさを埋めていた」感じだったので。
私は「世の中のむなしさ」を感じて摂理に来た、というよりは「好奇心」から摂理に来た感じで、この二つの違いが正直分かりませんでした。
ただ、摂理に長くいるうちに気付いたのですが…「摂理」と「世の中のサークル」には色々な違いがありました。
まず、摂理の活動は「一つ一つが真剣」です。なぜなら、「神様を迎える」という意識があるから。
なので、サークルの例会を抜けて礼拝に行くと、そのギャップに苦しみました。
「私は礼拝に来ているのに、どうしてサークルの感じが抜けないんだろう?」って。それがきっかけで所属していたサークルを離れました。
例え同じことをしていても、摂理ではいつも神様を迎えて、神様が目の前にいらっしゃると思って行うので、真剣に取り組み、その結果とてもやった甲斐を感じます。
もっとも、私は未だに「ふわふわしている」感覚が抜けない時があって、真剣に取り組んでいない時もありますが…汗
また、サークルには「入会」がありますが、摂理には「入会」がありません。よって「退会」とか「脱会」もありません。
摂理人、というのは「摂理に入った人」という意味ではないんです。鄭明析先生の御言葉の精神で生きる人が「摂理人」というものです。…足りないところは大いにありますが。
ところで、私のサークルでも私が離れる前後で大きく人が出入りしていました。
後輩が他の活動で忙しくなって来なくなる。人とぶつかって来なくなる。色々問題も起こりました。
これは摂理でもよくあることなんです。残念ながら。
サークルでは、私が来なくなって以降、たくさんの議論とトラブルがあったようです。
これまでの伝統を壊しかねない後輩の行動。それを見かねて口を出すOB。板挟みで心労に苦しむ会長…。
様々に揉めた、という話を後に聞きました。
摂理では、「鄭明析先生の御言葉」があるから、最後には先生によってまとめられるところはありますし、御言葉を聞いて「神様を愛そう」と思う心は同じなので、ある程度はまとまります。…たとえ個人個人が自由にしていたとしても。
ですが、世の中のサークルには「それぞれの目的」を持って入った人がいます。単に時間をつぶしたい、真剣に出し物をしたい、友達を作りたい、お酒を飲みたい、恋人がほしい…等。上の人はそれをまとめなければいけないので、余計に苦労します。(私もどちらかと言えば、サークルの会長に苦労させた方なので、そのことは申し訳なく思います。)
私のサークルは今でも存在しています。その中でメンバーがどうしているのか、私にはわかりません。
ただ…昔のようにゆったりとした感じではないのは、確かな気がします。
月は変わらずとも、世の中は変わる。月は変わった我々を見て、何を思うのだろうか?
摂理に来て、神様を知った今…私はそういう風に過去を回想するのでした。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

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