摂理の御言葉と賛美と生命力。


おはようございます、satoです。
突然ですが、今日は摂理の賛美について色々語りたいと思います。
私は摂理に来る前から歌を歌うことがとても好きでした。…音痴でしたが(笑)
(いや、正確には「音痴だったようでしたが…」だよな。だって、私は音痴の自覚なかったから。高校の音楽の授業でも成績はよかったので、そんなに音痴ではないだろうと思っていました。)
そして、音楽を聴くこともとても好きでした。なので、いつも帰り道や勉強中は携帯、またはipodに入っているアニソン、ゲーソンを聴きながらテンションが上がって歌うという毎日を送っていました。
当時私が聞いた曲を思い出すと、歌詞より曲を重視していたように感じます。
より心情的、神秘的、あるいは躍動感のある曲が多かったです。
そんな私でしたが、摂理に来て初めて賛美を聞くようになりました。最初の印象は…正直「薄味だな」という感じでした。なぜなら、曲調がそこまではっきりしていなかったから。賛美って、どこか神霊で静かなところあるじゃないですか?それが私には刺激を感じられなかったのです。
しかし、私は聞いたものをそのまま口にする特性があるようで、賛美をみんなで歌っているうちに、いつの間にか自分一人でも帰り道に口ずさむようになっていました。
今では摂理の賛美も曲調が躍動感がある(つまり、ギターやドラムがガンガンきいてる)ものや心情的(バラード調)なものがあって、それはそれでいいのですが。しかし、摂理の賛美はやはり歌詞が命だと今では思っています。
摂理の賛美はすべて御言葉から作られています。で、摂理の御言葉はすべて鄭明析先生が実践されて体感されたものです。
なので、摂理の御言葉、そしてそこから作られた賛美には「生命力」があります。
だからか、私が決心して「この御言葉(賛美)通りにします!」と心を込めて告白するように歌うと、心に強く感動が来ます。
鄭明析先生の歌、実は音楽としてはそこまで上手くありません。リズムも音もそこまで合っているわけではありません。しかし、そこには神様に向かう真実な心が込められていて、そして、神様に捧げるなら命をも全て焼き尽くさんとするくらい全力で!と言わんばかりに歌います。それが、聞く人の心を感動させ、生かすものとなります。
私もこれくらい賛美を捧げたいです。
あるとき(ある物語でGさんがAKB48のデータをすべて消したかの如く)私もこれまで集めてきたアニソン、ゲーソンをすべて捨てて、摂理の賛美だけ残しました。本当に、自分の心をいやしてくれた曲も全て。それ以降、今まで摂理の賛美しか聞いていません。不思議なもので、こうしてからはあれだけずっと聞いてたアニソンを聞いてもちょっと拒絶反応を示しているんですよね、脳が。本当に脳は入れたとおりに作られるんだな、って思います。これもまた、御言葉で脳を埋め尽くすってことなのかも。
私が物語の中で二回ほどキャラが賛美を歌うシーンを書いたことがあります。
一つは最初の作品「引き上げレース中継…。」で先生からアドバイスをもらったAさんが決心して「自然聖殿」を歌うシーン。
もう一つは「時を超えて、叶う願い。」で教会に戻ってきたGさんがBさんと共に「恋しい御顔」を歌うシーンです。
どちらも私が好きな賛美なのですが…なぜか賛美のシーンを書きながら、私がすごく感動しているんですよね。これはどっちの時もそうで。
不思議なことですが、物語で賛美を歌う瞬間、キャラクターに息が吹き込まれたかのように、キャラクターが生きているかのように情景がはっきりと映るのです。これもまた、賛美の力なのでしょうか?

ABOUTこの記事をかいた人

霊肉ともに生粋の道産子・摂理男子。30代まであと一歩。数学者を志す大学院生、かつ教育系の仕事を色々しています。 軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向。見て聞いて感じたことから深く考え、悟りを得ることが一番好き。祈りと賛美大好き(*´∀`*)グルメ巡りと御言葉を基にした小説作品は私の密かな夢。