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摂理人の連想:刈り取りから「テレビ」を経由して「大学での勧誘」、そして「夢の成就」へ。

摂理人の連想:刈り取りから「テレビ」を経由して「大学での勧誘」、そして「夢の成就」へ。

こんばんは、satoです。
少し前から実家に帰省しています。
私の故郷はとっても田舎で、周りには畑や田んぼ。今は秋なので、ちょうど実が熟してて収穫の時期です。
私も霊肉ともに引き上げという実を刈り取りたい今日このごろです。
さて、収穫の時期、ということで皆さんは「刈り取りたいもの」、ありますか?
刈り取り、と聞くとよくわからないので…もう少し簡単に言うと「今まで成し遂げたいと頑張ってきたもの」ありますか?
私はたくさんあります。刈り取りたいと強く思っていたかはわかりませんが、それでも頑張ってきたことはたくさんあります。特に自分を変えることにはもがきました。
おかげでだいぶ良くなってきたことを実家に帰省して感じたのですが、まだまだ直っていないところもあり…。あと少し!
そんな「刈り取り」の季節、どこもみんな刈り取ろうと必死…。
刈り取る、というのは「自分のものにする」ことなのです。そういう視点で見ると、世の中もたくさん刈り取ろうとしています。
たとえば…私の実家は起きている間ずっとテレビが付いているのですが(家族がみんなでかけているときはもちろん電源を落とす。)、その中で最近のドラマやらバラエティやらを見るわけです。そうすると…みんな視聴率確保のために色々考えています。
で、大体使われるのが「お色気」とか「恋愛」とかなどの「異性的な誘惑」。
最近流行っている(らしい。家族に聞いたらみんな知ってて「何をいまさら…」という顔をされた)「テラスハウス」なる番組は、簡単に言うと「あいのり」のルームシェア版。参加者の負担も軽く、人気なのだとか。
かつて「あいのり」にはまっていた私だからわかるのですが、ああいうのはみんな好きなんですよねー。
あと、ショックだったのは…「昼顔」なるドラマ。なんと不倫する主婦をメインに書いている!スマスマ(録画されてたのを流していた。)にゲストで主演が出ていた時に名シーン集が写っていたのですが…どれも「不倫する場面」。それって…倫理的にどうなの?
かつては「不倫する」シーンはそれでも「悪、いけないこと」として書かれていたと思ったのですが、あのシーン…どれも「不倫が当たり前」のように書かれている気がしたのです。これは私の感じ方なのでしょうけど…それってどうなの?(2回目)
とまぁ、このように書いていますが、これって昔からそう。
昔から「恋愛(特に禁断の、というやつ)」や「お色気」は番組のどこかにありました。
そうするとみんな見るからです。テレビ局は視聴率を取ることが大事ですから。
しかし、摂理の御言葉を聞いている私にしてみれば…もっと健全な番組はないのか!?と言いたい。もっと「みんなが成長する」とか「喜び合う」とか…人が喜ぶものはたくさんあるのに、どうしてほとんどが「異性的な愛」なの!?
しかも、昔よりさらに刺激的になっているし…。
…と、私が実家にいる中で感じたことを書かせていただきましたが、これは本筋じゃないんです。
最近物語で「本当のカルトって、何?」というものを書きました。これはGさんが大学に貼ってあったポスターをきっかけに「宗教に対する懸念」を告げる、というものです。
この中で「大学で勧誘する」という話がありましたが、実際現在宗教・営業・その他さまざまな人たちが大学で勧誘しています。その目的は、ずばり「自分のものにしたい」。自分のものにして、利益を得たいから、なんです。これもまた、「刈り取り」でしょ?
まぁ、先ほど挙げた物語にも書いてあるとおり、特に宗教は「信仰」によって動いているため見た目にはいいかどうかはわからないのです。
物語とは少し違う視点でこのことをちょっと書いてみたいと思います。
最初にも問いかけましたが、あなたには「自分が得たいもの」はありますか?
そのために「頑張って」きましたか?
何を目指しているのか、それは各自それぞれですが、あなたはそれを確実に得たいわけです。
それはどんな人も同じ。だからこそ、大切なのは「自分が目指しているそれ」を得られるのか、それを助けてくれる人なのかだと思います。もしそういう人ならあなたにとって有益でしょうし、「あなたの得たいものを考えずにただ自分の利を得たい」、あるいは「ただあなたの得たいものだけを与えたい」という人には要注意です。後者が要注意なのは「人には誰しも得たいものがあるはずのに、それを伝えない」わけですから、怪しいというわけです。
それに加えて、その人の話を実際に検討してみて本当に得られるのかの確認も必要ですね。
ここで、私の経験を話すと…摂理は結果的には自分が今まで頑張ったことが成就するところです。「結果的」と言ったのは「摂理の目的をなそうとする中で結果的に成就した」からです。
たとえば、私には「小説家・あるいは漫画家」になりたいという願望がありました。その根源は「私の脳内にある物語を現実化したい。」という思いです。私はたくさん漫画を見続けてきたなかで「自分の脳内に出来上がる物語」がアニメのように浮かんでいました。それを「幻想ではない実物」として見たかったのです。
しかし、摂理に来て「神様に集中しよう」とアニメを全て切りました。(脳内の物語はしばらく残っていたが、だんだん変わっていった。)そして、御言葉を物語にする、という先生の御言葉が出たときに実践する中で…このブログで「脳内の物語を読み物にする」という願いが叶いました!
このブログは「鄭明析先生の御言葉をネットを使って伝えたい!」という目的で始めたのですが、その目的を達成しようといろいろ試行錯誤する中で…この夢が叶ったのです。
そういうわけで、私は「ほかのどこかでも得られるかもしれないが、間違いなく摂理にくれば最高の形で得られる」と結論づけます。みなさんも摂理に来て「自分の夢」刈り取りませんか?


余談ですが。
このブログを書いている間ずっとポップアップが出てきて出てきて…。ここでも「刈り取り」にやっきになっている人々がいることが感じられますね。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

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