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摂理人satoの事件簿。その5

摂理人satoの事件簿。その5

摂理にいて苦しかったことはたくさんありました。たぶん、楽しかったことより多くあるでしょう。
それは、根底的には「自分を愛せていない」ところから来るものでした。
一つ一つそれを語るには、あまりに時間が足りないのですが。
ただ、一つだけ言えるのは「その苦しみを乗り越えられたのは、主を悟った時」でした。そして、それが「主との大きな経緯」になるのです。
摂理は楽しいことばかりではありません。
御子と愛をなすからといって、そのすべてがなんの苦労もないわけではありません。むしろ苦しみの方が多い気もします。
それは「摂理歴史は、現在進行中で開発途中だから」です。
今まで「神様を愛の対象とする」歴史というのはありませんでした。だから、その分開発されていないことが多いのです。開発されていないから、開発する苦しみがある。
産みの苦しみ。
それは決して「自分が悪い」から起こるのではありません。むしろ、「自分がよくやっている」から起こるのです。
それを誤解してはいけません。私はこれを誤解してしばしば苦しんでいました。
まして、今の世の中は「神様を愛すること、信じること」が不要だと考えられている、ある種の幻想だと考えられているところです。特に信仰の薄い日本では。だから、その中で神様を愛することは相当の苦労があるのです。
まぁ、だからといって絶望的か、といえばそんなこともないのですが。
すでに「神様を愛して生き抜いている」鄭明析先生という前例がいますから。方針はあるのです。
問題は…その方針に自分がどこまで沿えるのか。
そのもがきについて、少し書いてみたいと思います。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

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