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摂理と誕生会。

摂理と誕生会。

おはようございます、satoです。
昨日、私は色々あってスーツを買うことにしました。
その日の夕方には食事会もあるので、その前にさっと行こうと思って、外に出ました。
しかし、その時「どうしよう…伝道しようかな…」と迷っていました。
つまり「心が定まらない状態」で行ったのです。
その日はなかなか散々な日でした。
朝起きて祈ったはいいけれど、そのあと3時間近く眠ってしまいそのあともパット動けなくて集まりに遅刻するし。
それが終わってから御言葉を聞いたはいいけれど、また眠りに落ちて…2時間くらい無駄にしてしまいました。
そう、ここ最近心が定まらずに「何もできなくて眠ってしまう」ことが続いていました。
そして、起きていても心が定まらず、何もできない日が続いていました。
先ほどの話に戻ると外に出たあともしばらく本屋に寄ったり、別のお店に行ったり、本屋で「北海道蘊蓄」なる漫画を読んでいたり…とふらふら生活していました。
そして、やっと心を決めてスーツを買いに行くこと一時間。
ようやくスーツを買ったときにはすでに食事会は始まり、私は次の用事に行かなければなりませんでした。
その時「ちょっとでも顔を出そうかな…」と思ったのですが、次の用事が「礼拝のリハーサル」であることを考えると…こっちを優先していました。
練習の途中で食事会にいる教会の兄弟からラインが。
見てみると「誕生日祝われました!」という内容。
そう、その人は7月が誕生日だったのです。
そして…私も。
そう、このときにようやく悟ったのです。
「あの食事会は…私とその兄弟の誕生会だった」ということを。
その時に激しく後悔しました。
外に出てから他の店寄ったり、本を読んだりしなかったならば…たぶん食事会には間に合ったでしょう…。
それに、一瞬でも顔だけ出しに行けば、もしかしたらうまくお祝いされたかもしれません。
それなのに、私は自分の行いのせいで…準備してくれた人の心を無駄にしてしまった。(間違っても、お祝いされたかったというわけではない。それならこんなに重くは考えない。)
これを通して、私はあることを思いました。
今、私が迷っているうちに「天が祝福しようとしている」のを無駄にしてしまっているのではないか?
このように、せっかく主が「天国・黄金の城」で婚宴をしようとしているのに、私は小さなことでそれを無駄にしてしまうのではないか?
そのあと、どうしたかですか?
私は練習が終わってから、すぐに家に向かいました。
もしかしたら、みんながまだいるかもしれない…。そう思って。
果たしてみんなはいました。そして、無事に誕生日を祝われました。
このように、まだ終わっていないのだから、気づいたのなら全力で走ればいい。そうすれば、主は私を迎えてくれる。
そう、感じました。
ここ最近、私の小さな心一つを捨てられなかった故に、なにもすることができなくなって、苦しんでいました。熱心にする力が奪われていました。
「一つの失敗」をしたことによって、「自分がした全てのことは無駄になってしまった…」と考えてしまったこと。
熱心に祈り、悔い改めても「また罪を犯した、あるいは罪を犯す心になってしまった」こと。それで「自分のしたことは無駄になってしまった…」と思うこと。
そして、「そのように、これからどんなに熱心にしても、私は変わらないのではないか」と思う心。
そんなことは…ないんですよね。
「漸進的」に歴史は進む。私たちの変化も漸進的に成される。
それを、忘れていたのでした。
罪を犯したなら、すぐに悔い改めればいい。
心が流れたなら、すぐに戻せばいい。
一日うまくいかなかったなら、今から頑張ればいい。
過去のことは過去のこと。今は今。
今現在を熱心にすれば、未来は必ず希望だ。
そのこと、一つを忘れていたのでした。
鄭明析先生の精神。
それは「最後まで」。
先生はそれが成されるときまで諦めないのでした。
その精神で、今からまた、熱心に頑張ります!

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

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