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どうして摂理にいると「つらく思う」時があるのか?その2

どうして摂理にいると「つらく思う」時があるのか?その2

昨日の続きです。
結局「祈ったのに叶わなかった」を含めた「自分はこんなに愛したのに、それに対する報いが少ない…!」という考えは「自分の考えと神様の考えの違い」によって説明ができます。
自分の考えでは「神様によくした分すぐに自分にわかる形で(物がもらえる、自分の祈った通りになるなど)返ってくる」と思っていても、神様から見たら「私によくした分、もっとも相応しいときに、一番ふさわしい形で返そう」としているのです。
神様は必ず行った通りに報いてくださいますが、それが肉で生きている間とは限らず、むしろ「霊界で、天国に行ったときに」返してくださる方が多いです。何故なら肉で享受するのは一瞬だけど、霊で与えたら永遠に続くからです。また、肉で感じるより数百倍霊で感じるので、もっと嬉しさを感じるからでもあります。
そういうわけで…いつも善をしている人はもっと天国に行かなければなりません。何故なら…「自分が善く行ったことが天国で報いられる」からです。いくら善いことをしても「天国に行かないと」報われないです。それは神様からしたらとても残念なことなのです。
話が逸れましたが、「つらく思う」ことの理由、そのすべてが「自分と神様との考えの違い」で説明できます。
残りの二つについてはまた明日。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

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