摂理の中の私と神様。~霊魂体験記~その5


「魂体」、あるいは「霊の思い」。
それは、私が信仰生活をする中で、いや、実はもっと前から…たくさん感じていました。
たとえば、ご飯を食べないまま礼拝に行く途中。
近くのコンビニに行ってご飯を買おうかな、と考えていた私。しかし、私の心には「ご飯を食べたくない!」と思う気持ちもありました。それは「ご飯を食べると御言葉に対する気が逸れてしまう。ご飯を食べずに礼拝に行けば、それが「ご飯より礼拝を優先したことになる」から、神様に条件となる」という霊の考えからでした。
そういうとき、私はかなり、かなーり、葛藤します。
「いや、そこまでしなくてもいいじゃん。」
「ご飯なんてあとから食べればいい!」
「俺はお腹が空いているの!」
「私だって、お腹が空いてるよ!(御言葉的な意味で)」
…大体、そういう状況に陥るときは考えが漫然としていて考えが肉体側に片寄っている状態なんです。だから霊的には饑餓モード。よって霊魂が御言葉を聞くこと、祈ることを優先しているというわけです。しかし、そういうときは「肉体側の考えが強い」ので、
「そんな早くに行って、何をするのか…」とか
「ご飯を食べたぐらいで神様が罰するか…?」とか
やはり抵抗も大きいのです。
結局、そういうときはご飯を食べないときがあるし(そういうときは霊は勝ち誇ったかのような反応をする)食べるときもあります(霊は残念に感じる)。
ちなみに、考えが漫然としていないときは「礼拝はこれくらいの時間だから、何時までに出て、ここでご飯食べて…」と行動しています。つまり「礼拝に基準を合わせて動いている」わけです。もっとも、これができるようになったのはつい最近のことです。
また、これも最近のことですが「ご飯を食べるかが肝心ではなく、そこでどれくらい主と交通しているかが重要」だと霊肉共に悟ったので、ご飯を食べても以前のように霊がいやがることもないです。
肉も最初は「ご飯を食べない」ということがどこか「負けた」感じがして、憮然としていました(ので、実はあまり礼拝にはいい影響がなかった)が、最近では霊のことも理解してあげて祈るようにはしています。
この辺り、霊肉共に「成長した」ということでしょうか。
こういう「霊肉の葛藤」というのは、御言葉を聞いていると特に日常茶飯事で、たとえば「サークルやめよう!」という霊の思いと「いや、サークルはやめたくない!」という肉の思いが御言葉中にぶつかって大変でした。いや、本当に。

ABOUTこの記事をかいた人

霊肉ともに生粋の道産子・摂理男子。30代まであと一歩。数学者を志す大学院生、かつ教育系の仕事を色々しています。 軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向。見て聞いて感じたことから深く考え、悟りを得ることが一番好き。祈りと賛美大好き(*´∀`*)グルメ巡りと御言葉を基にした小説作品は私の密かな夢。