satoの数学小説シリーズ「真理の森の数学セミナー」絶賛更新中!

摂理と情報の多様化。

摂理と情報の多様化。

ネットが社会に普及してから、人々は多くの情報に触れる機会を得た。しかし、ネットには「多種多様な」情報が存在する。
摂理を見てみても、ネットには「摂理がいい!」と主張するものもあれば、「摂理は悪い」と主張するものもある。ちなみに摂理人はみな「摂理がいい!」という情報を流している。誰も「自分が好きでいるところ」を悪く言う人はいないだろう…。
このような状況は何も摂理に限ったことではない。世の中にあるすべてのジャンル、すべての対象に対して「称賛」する情報と「悪評」する情報が存在する。
ちなみに、アニメでも大抵「ファンサイト」と「アンチサイト」が存在する。そして、その活発さはどちらも「アニメの人気度」に比例する。
なぜこのようなことが起きているのか?それは「ネットの情報が人々の主観によって作られている」からである。科学研究などに存在する「客観的な議論」を経て作られた「理論」とは異なるのである。よって、ネットの情報において「これが正しい!」と言えるものは存在しないと言えそうだ。
しかし、果たしてこれは正しいだろうか?
私たちはネットの情報に対して「正しい/間違い」を判断する術を持ち得ないのだろうか?
私は結局のところ…「自分が体感したもの」によって判断するしかないのだ、と考える。どんなに人がなにを言おうと、ネットになにが書かれていようが、最終的には「自分が入ってみないと」わからないのだ。
例えば、あるアニメがあったとしよう。それに対して多くの悪評がされているのをあなたは見る。それと同時に見た人からの称賛の記事も見る。
それを見て、あなたは「そのアニメを見るか否か」を判断する。しかし、実際に面白いか否かは「見てみないとわからない」のだ。そんな体験をあなたはしているはずだ。(アニメを見ない人は例えば「飲食店を選ぶときに食べログを見ている」と考えたらいいと思う)
だから、私はいつも考える。
すべてのことは自分がやってみてから判断してほしい。そして、自分が感じたこと、経験は絶対に捨ててはいけないと。
私はそうして悪評の森の中で摂理に、鄭明析先生に出会ったから。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

日常生活カテゴリの最新記事