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摂理人の葛藤、自分が甘いのか、自分の心の問題なのか。

摂理人の葛藤、自分が甘いのか、自分の心の問題なのか。

こんばんは、satoです。
ここ最近、「自分ができていないという事実」を受け入れるについて葛藤しています。
私も色々できていないところがあって、信仰生活における不備はたくさんあります。
しかも「私は大して忙しくない」のにしようとしない。その事を許容することができていませんでした。
引き上げの生を生きるなかで、自分のできていないところはどんどん明らかになります。これは「自分がより上の次元に生きようとしている」からなんです。
引き上げの生とは「御言葉通りに生きる」ことを目指す生です。だから、御言葉を聞くと「できていない」ところがあらわになります。それは御子が「天国に行かせるために」教えてくださっていることなのですが。
それで、自分は「御言葉通りにできている」人を嫉妬していました。つい最近わかったことですが。嫉妬というのは、「それがない自分への激しい攻撃」でもあります。そのことに気づいてお祈りしたときに「自分が今の自分の姿を許容できていない」ということに気づきました。
誰しも、できている自分を認めることはできると思います。できている自分を見ると安心します。ところができていない自分にぶつかると、たちどころに自信を失ってしまう。
「一つでもできてないところがあると申し訳なく思う」日本人。
これはリバイバル集会で講師が教えてくださったことのひとつです。
自分の場合、特に小学生の時に「できていない」ことについて怒られた経験が多く、そのためか自分を責めてしまうことの方が多かったです。
でも、主が望んでいらっしゃるのは「できていないところを改善する」ことなので、それさえすればいい。この文章を書きながら、これがわかって少しずつできない自分を許容できるようになりました。
少しずつでもいいから、私が「ありのままの自分」を許容できるようになりたいです。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

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