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摂理と自己主管。~神様の御言葉VS自分の考え、ファイッ!~

摂理と自己主管。~神様の御言葉VS自分の考え、ファイッ!~

こんばんは、satoです。今日は摂理人が普段何と闘っているのか、実体験を通してお話ししようと思います。
今日、こんなことがありました。
今日明け方にお祈りした後、ふとパソコンをいじりたくなりました。使命の関係上、やらないといけないことがあったのです。
ところが、このとき「これをやるより先に御言葉を聞いた後にお祈りしないと!」という考えが来ました。なんとなくここを掴まないと流れる感覚がしたのです。
…が。実際には「でもやらないといけないことあるし」と言ってパソコンをいじってました_| ̄|○
その時はやるべきことをやったらすぐに祈りました。ここで切らないとダラダラしてしまうからです。ただ、やはり明け方の御言葉を聞いて受けた感動というのは薄くなっていたような気がしました。
朝の用事が終わって家に帰り、朝御飯を作ろうと思った時にふと「朝御飯を食べる前に走ろう。そうでないと自分は走らないで寝ちゃう。」という考えが来ました。ところが、私は「えー、ご飯を作っちゃいけないの!?そんなのヤダ!」と(心の中で)言ってご飯を作り始めたのでした。
その後ご飯を食べてじゃあ運動しよう、と思ったのですが「ご飯を食べてすぐに走ったらお腹が痛くなるし…」と寝っ転がってストレッチをしていました。そうしているうちに眠くなり…結局寝ていました。布団で。いや、正確には「布団に入って寝よう。床で寝たら風邪ひくし」と思って自分の意思で入ってました。
そしたら…なんと20時までの間、ずーーーーっとぼんやりと生活していたのです_| ̄|○
いや、自分のすべきことはしていました。今日やるべきこともたくさんあって、それはちゃんとやっていました。肉的には。
しかし、霊的にはどうか、というと…完全に集中できず、神様のことをずっと忘れていました。
こういう状態だと自分はネットに時間を投資しがちで、色々見ているうちに悪評とか悪い言葉が目に入り傷を受けてしまうのです…。
さて、自分のすべきことをしている間もそれが終わって上記の状態になっていると、心がとても苦しくなります。
「違う!自分はこんなことをしている場合でない!」という感じです。
これは霊魂の苦しみの声なんですが…肉はあまり気づいていない。正確には気づいても自分のことに夢中になって取り合わない。
けど、心は苦しい。
なので、帰ることにしました。
帰っている途中、今朝のことを思い出しながら「なんでこんな一日過ごしたんだろ…」と落ち込みながら反省していると、ここぞとばかりに「今日の行動の問題点」を指摘する声が。いや、正確には「叱る」声が。
ここで受け入れるか、耳を塞ぐかで話が変わるのですが…今日は受け入れました。「アーメン!」って口にしました。そしたら自分の考えが吹き飛び、今朝できなかった「運動をしよう」と思うようになりました。
摂理人がいつも何と闘っているのか?
それは…「自分の考え」です。
「神様の御言葉、感動が来たときに、自分のしていることを置いて従順する。」
自分のしたいことと御言葉、どっちを優先させるか、で闘っているのです。言葉にするとこんなこと…と思うのかもしれませんが、これが一番重要かつ激烈な、そして血みどろな闘いなのです。霊的戦争、その中心がここに集約されています。
今日回復できたのは、正直先生の祈りと明け方に読んだ啓示の御言葉があったからです。もちろん「自分の祈り」という責任分担もあったとは思いますが。そんなのは小さいもの。
だから、摂理人はこう祈ります。
「どうか私の考えがなくなりますように。私の主観を捨てられるようにしてください!」
摂理人は、絶えず自分と闘い続けるのです…。引き上げをなすその日まで。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

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