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摂理と悪評・前半。~佐村河内守事件からその2~

摂理と悪評・前半。~佐村河内守事件からその2~

こんばんは、satoです。
今回は「悪評」について書きたいと思います。
少し長くなるのと、最近色々な事件があるのとで何回かに分割して書きたいと思います。
…少し私の経験とかも話すため、見る人に不快感を与えてしまうかもしれませんが、ご了承ください。「いじめられたトラウマ」があるような人とかはこの記事は見ない方がいいと思います。そういう方には後に書きたいと思っている「悪口を言われている人への言葉」を見ることをお薦めします。
では、本題。↓
私は、ずっと怖いと思っていたものがある。
それは、ひとつの出来事ではない。
ひとつの人物でも、ものでも、概念でもない。
「有象無象の違いなく存在する悪意」、そしてそれに基づいて行われる行為だ。
人は「弱いものを徹底的に否定する」。
その人を引きずり出し。
弱いところ、足りないところを徹底して追求し。
それらをすべて否定し。
そして、その人のすべてを否定する。
時に感情的に。怒りを持って。
時に「それが正しい」と正義感すら持って。
時に残酷に、冷徹に。
私もそのようなことがあった。きっかけは「人の話が聞き取れない」ことから。あまり「空気を読む」ということに慣れていなかった私は。一年間いわれのない悪言を吐かれた。
死ねと言われたこともあった。(これはたぶん兄弟同士のこと)
様々な自分のしぐさをいちいち指摘して、自意識過剰だの、気取っているだの、悪意を持ってひたすら言われ続けた。
叩かれたり、物を盗られたりしたこともあった。
ゲームでは自分を集中的に攻められたこともあった。
時には自分のしたくないことをさせられたこともあった。
佐村河内守事件でも、彼自身は全ろうでないが「中度難聴」ということがわかった。これは生活の中でされる対話が「聞き取りにくい」というもので、障害者手帳は持てないけれど「聴覚障害」である。
ところが、彼のした偽証行為(もちろんそれ自体はしてはならないことである)を批判する声に乗じて
「お前聞こえてるんじゃん!障害者じゃないじゃないか!」
と非難する声があった。それは「聞き取れないことがある」彼に「聞こえること」を強要する声。
さらには、この事件をもとに、自分の周りにいる聴覚障害者に対して「どうせお前も聞こえているんだろう!」と言って障害がない人のように振る舞わせる人、「佐村河内!」と言って悪口を浴びせる人がいると聞いている。家族にこのようなことを言われた人もいる。
それは果たして正しいのだろうか?
…一経験者として話すと、自分を否定されること、それも一年間続けてされるのは正直辛い。どれくらい辛いかと言うと、今でもこのような罵声、悪口を聞くと気持ち悪くなり、めまいがする。
吐き気を催し、悲しくなる。無気力になり、希望が消える。
つまり、私にとって「自分を否定される」という経験は…
トラウマなのだ。
もちろん今回の彼がした行為、「全ろうと偽って音楽を出した」ことは容認できるものではない。さらに言うと、彼の態度には色々な問題がある。それは擁護できない。
だが…どんな人にも間違いはある。
果たして私たちが「彼の存在を否定していい」だろうか?
私は…神様の視点からこの問題について話したい。
つまり、「神様は罪を犯した人に対してどのような思いを抱いておられるのか?」

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

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