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摂理人の肉体の価値。

摂理人の肉体の価値。

こんばんは、satoです。
ここ最近肉体が言うこと動かないことが多かったです。
…病気と言うわけではありません。御言葉を聞いても、「やろう!」という心がわいても、肉体がなかなか動いてくれないのです!
「これやったら苦しくなるし…キツい!」と肉が叫んでいた気もします。
そんなときに、牧師の御言葉を聞きました。
「体も使わなければ、無用の長物だ」
この御言葉を聞いて感動が…。その感覚はまさに「自分の肉体が感じている最中」だったのです!
つまり、自分が肉体を動かせなかったのは、痛みや苦しさばかり見て「体の価値」を忘れていたから、だったのでした。
「どうせ体を動かしても、意味がないんだ。」そんな心を持っていたような気がしました。
確かに永遠に生きる霊の価値はとても、とても、言葉にできないくらい高いです。
そして、その霊を救ってくださる時代の使命者、その根本となる御子の価値があまりにも高いです。
しかし…それと同じくらい、自分の「肉体」にも価値があります。なぜなら「その肉体を神様が使うなら、神様の御働きを地上で行うことになり、霊が形成される」から。
こう聞くと「じゃあ神様が使ってくださらなければ、肉体にはなんの価値もないんかい…」という言葉が出そうですが、それはちょっと違います。神様は「いつも私たちの体を使おうとしている」んです。ただ、私たちが願いさえすればいい。神様は「私たちを通して、私たちと一緒に」歴史を成したいんです!
そう思えば…私たちが祈ること一つも「神様が使う」ことならば、とても貴重なものとは言えませんか?
ダヴィンチが紙と筆を使えば、書かれた絵には何億もの価値が付きます。同じものを使って私が絵を書いても、好きな人が喜ぶだけですね(笑)
それと同じように、「誰が」私を使うかでその行動ひとつの価値が大きく変わる。永遠に存在なさる神様が使えばその価値は永遠。その仕事は美しく、神秘的で、雄大です!
だから、御言葉を行える「肉体」にとても価値があるんだ、と気づいて神様の心情に気づけてテンションが上がった(笑)satoでした!

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

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