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摂理人satoが捨てるられなかったもの…。

摂理人satoが捨てるられなかったもの…。

こんばんは、satoです。
今週の鄭明析牧師の御言葉は「古いものを捨てて、新しく作ってこそ得るべきものを得る」でした。
この御言葉を聞いて、摂理内では「自分の古いものを捨てる」ブームが起きていると思います(笑)
私も自分が捨てられなかったもの、手放せなかったものを捨てる機会があり、いろいろ捨てました。
私は見えるものに対する執着はあまりない、というかむしろ「自分が持っていることを忘れる」くらい興味が薄いので(笑)そういうものを捨てることにはあまり苦労しなかったりします。
が…それとは逆に「見えないもの」に対する執着はとても強かったです。
これはつまり「人間関係」とか「自分の考えていたこと」とか「自分の生活スタイル」とかですね。
例えば、見える手紙に対してはあまり未練がなくても、それに付随する「思い出」とか「その人の気持ち」を考えると途端に捨てられなくなる…ということはありました。特に人にもらったけど使わなくなったものとかも「これを捨てたらあの人が悲しむのではないか…」とか考えて捨てられない。
考えてみれば私はそれくらい「見えないもの」に価値を置いていたのだと思います。もっと正確に言うと「自分にしかないもの」ですね。人間関係も、自分の考えていたことも、自分に向けられた人の思いも、「ほかの人は持っていない、自分が忘れたら永遠になくなってしまう」もの。
…でも、それは本当に「必要なもの」なのか?
自分が捨てられない、という“それ”は本当に「この先使うことがあるのか?」
これがつまり「天の視点」なんです。
神様はその人が「永遠に天国に生きる」ことを考えて、その将来を見据えて何が必要かを考える。
私は「自分にしかないもの」に価値を置くけど、神様は「天国に行くために、私たちが永遠に幸せに生きるために必要なもの」に価値を置く。
これが「天と地の考えの違い」なんです。
そういう視点で考えると、思いっきり捨てられる。
なぜなら…神様は「今自分が持っているものよりはるかに良いものを与えてくださる」から。
それを信じて、私は私を捨てて行く。この摂理道を。
…とかっこよく書きましたが、実際はさっきまで結構未練タラタラでした(^_^;)
このブログを書いて整理がついたんです。
そういう意味では、このブログに感謝ですね!

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

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