夢を形にする、ということ。

おはようございます、satoです。

最近、論文を読んだり仕事をしたり、とても多くのことをしています。
その多くが「今したいこと」とは違っていて、また自分がすべきこととも少しずれているのでどうしたものか、とずっと悩んでいました。
「仕事を辞めたい」とすら思いました…実際には見ている子どもたちのこともあるので辞めるつもりはありませんが^^;
ただ「ここまでする必要があるのかな…」とは考えていました。

だけど、つい最近、といいますか今朝の御言葉でこんな話がありました。

「春になれば多くの仕事があるように、今仕事がたくさんある。
それは、祝福を受けるためにすべきことだ」

春になると、農家は種を撒きます。それも一つの作物だけでなく、多くの種類の種をたくさん。
それは秋になったときに多くのものを刈り取って得るためです。
これと同じく、すべきことがたくさんあるのは後に多くのものを得るためです。

とはいえ…。
私が「これを得たい!」と思ってすることならモチベーションも上がりますが、そうでなく「何をすればいいのか、何を得られるのか分からない」状態でたくさんのことをするのは正直大変です…。
そもそも「将来の状況をイメージできない」ADHD傾向の人には、先のことを考えて継続的に行うのは至難の業と言えましょう。

このことは神様も当然ご存知なので、私の場合「仕事をして得られる喜び」が分かりやすいです。
私が現在仕事に対して持っているモチベーションは「子供たちが反応してくれる」ことに尽きます。
端的に言えば「私がしっかり教えたら子供たちが答えてくれる」、そのことで頑張れます。
子供たちが喜んでくれる、良いところを見つけられる、親しくしてくれる。
これがあるから(どうにかこうにか)頑張れます。

これも私が将来大きな祝福を得られるから。
果たしてそれがどういうものなのか現時点では分かりませんが…ただ、最近は仕事の方もだいぶ形になってきて、力が出てきました。
ずっと上手くいかないこと続きで苦しんでいましたが、ようやく安定してきました…^^;

夢を形にする。

この言葉は世の中に多く出てくる言葉ですが、実際にやれば分かる通り「夢を形にする」のはとても大変です。
好きなことばかりしても形になるとは限らず、多くのもがきがあります。
面白いことばかりでなく、辛いこともたくさんあります。苦い思いもたくさんします。

私の場合、夢というのは「皆が喜ぶ世界」なのです。
もちろん数学研究とか、小説を書くとかしたいことはたくさんあるのですが、最も嬉しいのは「皆が喜ぶ」ことだな、とふと気づきました。
それを成すことが、私の夢。

でも、これもかなり大変です。
喜ばせるために何をすればいいのか、そもそもどうすれば仕事を通して喜びを与えられるのか、などなどたくさん考えることもあります。
だから、大変です。

でも、だからこそ、形になった夢に多くの価値があるのかな、と私は思うのです。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。