指導者に相談して悟ったこと


おはようございます、satoです。

最近、生活のバランスが崩れていた私。
あまりにヤバイ状態だったのを天が見兼ねて、人を送ってくださり相談するようにさせました。
もうヤバヤバすぎて、精神的にもかなり危険な状態だったので、思い切って「現在の自分の認識」を話しました。
その結果分かったのは、自分が否定的に自分のことを考えすぎるということです。

確かに、私は自分が出来ていないという考えが非常に強かったのです。
自分の中では「自分が出来ていない」ところが多すぎて自分でも気づかないうちに落胆していたのでした。
生活リズムが変わったことと、この思考のせいでストレスが溜まり、知的好奇心の任せるままに色々なものに接していた、というのがリズムが崩れた一つの理由でした。

今回話をしたことで分かったのは、

・自分は神様を愛しているし、神様も自分を愛している

・悪いところは無視するのでもなく、悪いから自分を低く評価するのでなく、「直せばいい」

ということです。

神様を愛している、ということは「神様の意見を素直に聞く」「神様が好きでいつでも神様を離さないように話している」というイメージを持っていました。
しかし、現実にはそこが根本ではなく、「神様がしてくださったことを分かって、感謝して、何かを返したい」と考える、つまり神様がしてくださったことを分かる、受け止めるところから始まります。
その心があるなら、ひとまず「神様を愛している」のです!たとえ御言葉を聞くのが嫌でも、堅いことが苦手でも、メディア大好きでも…。

そして、御言葉に反すること、間違ったことがあるなら、そこは「直せばいい」のです。
これに関して、実は今日の礼拝にて悟りがありました。
今日は後ろでパワポ操作する使命でしたが、先週大ポカをやらかしたので結構緊張してしまいました。
具体的には「ちゃんとやったけど抜けてないかな、間違って別の曲を再生しないかな」と…。
そんなことを繰り返し考えているうちに「もし別の曲を再生したらこうしたらいい」という考えが出ていました。

それで悟ったのが、私は間違うけど、間違ったらちゃんと対応すればいいし、その対応策まで考えて行うのが私の愛だということです。
「事前に準備して、それに合わせて本番行う」というのは鄭明析先生の御言葉通りですが、もっと具体的にいうと「事前に策を用意し、準備しておく」というのが私の好きなスタイルです。
何も「神様愛してます」ということだけが愛ではないのです。ちゃんと「行おうと準備し、それにむけて準備する」ことも愛なのです。
この感覚をいつの間にか忘れていたのは、メディアに触れて自分固有の考え方である「失敗したら嘲られる」という考えが強くなっていたこと、そしてバイトで少ないながらも「失敗すること」が多かったことでした。
特に、失敗して怒られる・非難されると本当にダメでした~^^;

というわけで、ひとまず時間が出来たら自分のすべきことをして、家に帰ったら運動する計画を立てようと思っています。
まずは、近くのジムの会員になることから…(笑)

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「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代まであと一歩。数学者を志す大学院生で、教育系の仕事もしています。 軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。