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今週の私の捜し物

おはようございます、satoです。

最近書きたいことはあれど、なかなかブログに書けない現状ですがいかがお過ごしでしょうか?
どうも、今年の10月はメンタルヘルス的にはとても大変な時期であった、とTwitterに書いてあるのを見ました。
確かに関東地方を含む広範囲の地域で台風の被害が起こり、様々なことがあったので特に精神的に大変だったかと思われます。
だから、「生きているだけでOK、いつもどおりに生きられたら花丸」とのことでした。
果たして、これが北海道にいる私にどこまで当てはまるかは不明ですが、北海道でも今年は例年に比べて暖かく、寒暖差が激しかったように感じます。

こういう時期だったからか、あるいはその他のことがあるか、は分かりませんが、メンタル的にはかなり良くなかったです。
自覚はしているのですが、「自分ができない、駄目な存在だ、御言葉と違うことをしている…」という状態が続いております。
しかも、少し前から祈ることが全くできない、祈ろうとしても集中できないという状態で。かなり参っていました(*_*)

そんな状態でしたが、今日東京から割と仲の良い摂理の人が来まして、話す時間がありました。
色々自分が思っていることを話したのですが、その中で「そういえば、私仕事で子どもたちに接しているときに大切にしていることがあったな」と思い出しました。
それが、鄭明析先生が話していた「子供たちに対して一人の人間として対等に接する」ということでした。
最近、精神的に参っていてあまり実践できていない、と私は感じていたのですが、子供たちからするとそうでもないようで…(?)結構近くに接してくれました。

そういう私の実践を聞いてその人は褒めてくれましたが、私はなんせ精神が参っているので、あまり素直に受け取れなかったようでした。
そんな私を見て、その人は自分を駄目だと言わないように約束しようと話しました。

確かに、私は(特に信仰面において)できていないことがあると「駄目だ、私は罪人だ」という意識が強く、これによってかなり苦しんでいました。
その点はいつか克服すべきところなのですが、しかし、それによって「自分が頑張っているところ」を無視してしまって、自分の価値を落としてしまっている、そして「自分が何をしても…」という考えで負のスパイラルに陥っているということにも気づきました。

そんなわけで、このような約束をしました。
その後、もう一度御言葉を聞くにつれ、自分の反応の良さとか、賛美が好きなこととか、そういう「自分に対して神様が褒めたいところ」に気づきました。
図らずも今週の御言葉は「求めよ、捜せ、門を叩け」という御言葉でしたが、今週の私の実践は「神様が自分を愛してくれているところ、褒めたいところ」を探すということになりそうです。

今日も一つ気づかせてくださった神様に感謝します。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代まであと一歩。数学者を志す大学院生で、教育系の仕事もしています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

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