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留学し 得た英語力で何を伝えたい?就活から大学院進学へ方向転換

留学し 得た英語力で何を伝えたい?就活から大学院進学へ方向転換

就活で自分の良さを認め、自由に生きられるようにしてくださった経緯の記録です!

 

留学までして得た英語力 しかし英語を使って自分は何を発信したいのか?という壁にぶつかった

 私にとって就活は、大きな転機になりました。というのも私は就活を機に、摂理に導かれるようになったからです。摂理に来る前、私は将来やりたいことが特に何もなく、「英語を活かして仕事したい」という漠然とした思いだけがありました。これは摂理に来てから自覚したのですが、「憎しみや争い、妬み、悲しみが一切なく皆が笑って暮らせる世界(以下、理想世界)を作りたいな」という野心は抱いていました。

 将来の道を見つけるため、アメリカへ4か月間留学に行くことを決めて渡航しました。「留学に行って海外で広い世界を見たら何かしら変われるかも」、「視野を広げれば何か見つかるかもしれない」ありがちな留学ドリームを抱いていました。笑

 しかし、いざ行ってみたら大きな壁にぶち当たるようになりました。それは、「英語を使って自分は何を伝えたいのか」という問題でした。

 

英語を活かして仕事をしたいと思っていたけれど、語学はあくまでもツールであって、それを使って自分は何を発信して周りをどのように変えたいのか?「人を喜ばせたい」と思っていたけれど、どうやったらそれをなせるのか?この問いに対する答えが自分にはなくて、「自分は中身がない」という無力感と、留学で変われると思っていた希望が壊れ絶望感に陥りました。

 

この経験を機に一層自分を成長させたい、人生の目的を見つけたいという思いを抱くようになり、帰国後日本でさまよっているうちに摂理の御言葉に出会うようになりました。時は就活が本格化する直前の大学3年生の夏休みでした。(私の時は就活が大学3年の12月スタートの時で、今より少し早かったのです)

 

 初めて出会った摂理人のお姉さんが社会人だったのですが、その方に「将来何をしたらよいのかわからない。自分が何に向いているのかもわからない」という相談をしたところ、「自分のことは造った人に聞けばいいんだよ!」と言われ、自分について、人生について本当に知りたかった私は御言葉を学ぶ決心をするようになりました。

自分のことを少し話すと、祖父母がクリスチャンだった関係で、聖書や信仰を持っている人に対する抵抗はなく、聖書をすぐに学び始めました。
 

御言葉を学ぶと共に始まった就活 ― 御言葉で自己分析

 私は最初、御言葉を学ぶことと就活を平行してやっていました。御言葉聞いた後に説明会に行ったり、インターンに行ったりという生活でした。御言葉を聞いたら人生の答えが見つかるとは言われていたけれど、それより実際就活することで何か見つかるだろうという考えの方が強かったのです(笑)。しかし、それは間違った考えでした。

 

 私は元々自己肯定感が著しく低く、「自分は生まれてはいけなかったんじゃないか」とまで考えていました。しかし、御言葉を聞くうちに神様がどれほど自分を愛して創造なさったのか知るようになり、自己肯定感と生きる力が回復するようになりました。

 

 すると何が起こったかというと、自分で自分の才能や長所を認められるようになったのです。御言葉を学ぶことで、自分や周りの人とはまた違う、神様から見た自分自身の個性や才能、タラントを見つけるようになり、「私ってこんなところがあるんだ」、「私ってこういうことが本当は好きだったんだな!」と、就活の要となる自己分析を効率よくできるようになりました。結局、御言葉を学ぶ時間が自己分析の時間になり、すいすいと就活の準備を整えていくことができました(笑)。

 

 また、「神様が御心を置いて、自分に一番ふさわしい宝のような企業が用意されている。その御心を見つけるのが就活だよ」(正確ではありませんが内容的にはそんな感じ)と言われ、憂鬱だった就活を希望をもって取り組めるようになりました。

 

第一回目の就活

 御言葉で自己分析を行なったところ、自分は勉強が好きだなということに気づき、一度就活をやめて大学院に進学したいと考えるようになりました。しかし、親から反対され仕方なくもう一度就活を再開しました。

 
 先に書いたとおり理想世界を求めていた私は、まず目下における日本の精神病者の多さや自殺率の高さを何とかしたい、日本を変えたい、そのためには教育の改革からだと考え、教育業界を見始めました。

 

 選考はうまく進み一社、大手塾会社から内定を頂くようになりました。しかし、塾は土日出勤もあり、夜に仕事があるという点から、主日礼拝に行けないという点からみると、どうしようか当時の私は迷ってしまいました。(摂理の教会には、土日出社が当たり前の仕事をしてる人も多くいます)

 

 祈りに祈り、最終的にその会社は辞退しました。そしてまた就活を再開しました。就活生は陥りがちなんだと思いますが、教育業界に限らず様々な業界を見ているうちに、自分がやりたいことが何なのか分からなくなってきました。もうその時は秋で、周りはほぼ皆就活を終えていた時期だったため焦ってしまい、情報に振り回されてしまっていたのです。

 

うまくいかない就活―その結果は

 あまりにもうまくいかないから辛くて、泣きながら神様の御心がどこにあるのかお祈りしました。お祈りと実際に就活をする中で、再び「大学院に行きたい」という感動があり、祈ってから親にその旨を伝えました。すると親も「あなたは勉強好きだからね。合っているかもしれないね」と言って、あっさりOKしてくれました。

 

 大学院進学を決めたのは4年生の10月。その上、大学とは異なる学科へ転部することになったため、他の受験生と比較したら圧倒的に不利な立場でした。しかし、様々な神様の御働きがありました。まず、私の代から内部進学生は基準を満たしていれば筆記試験免除という制度ができたのです。基準を満たしていた私は筆記試験がなくなり、書類と面接のみの選考になりました。

 

願書の提出もギリギリでしたが、なんとか書類選考は合格。基礎知識0の学部への進学だったため、2月の面接まで必死に基礎の勉強をしました。正直面接はボロボロで、とんちんかんなことばかり答えていたと思います。しかし、結果は合格。神様の助けと自分の少しの努力により、大学院に進学することになりました。これが私の一回目の就活の結末です。

 

 進学の感動が最初にあったのに、どうして一度就活をさせたんだろうと考えましたが、就活を通して一層「私は何のために生まれたのか」、「私はどうやって生きていきたいのか」深く考える機会になりました。求めていたから御言葉にも一層しがみつくようになったし、とても大きく成長する機会になったなと思います。神様は、社会的にも、そして信仰的にも私を成長させるために、あえて一度就活の道に戻して下さったのかなと思いました。

 

そして何より、自己肯定感を取り戻した成功経験になったかなと思います。私は自分がこうしたいという思いや感情を殺してしまう癖があったため(これが自己肯定感の低さにつながっていたのかなと思います)、進路に対しても自分がどうしたいかというよりは「神様が何を願っているか」ばかり重視していました。

 

それを教会の人に話したところ、もちろん神様の御心を求めることも大事だけれど、「神様を愛しているから、自分が先にこれをして差し上げたいです!」という先に愛する心も大事だという話をされ、衝撃を受けました。

 

この話を聞いてから、「大学院でもっと勉強して、御言葉をもっと勉強して、大きく成長してから社会に飛び立ちたいです」という自分の意志を神様に告白するようになりました。この祈りを捧げ始めてから、大学院への道が開かれるようになったのです。

 

自分を殺していた私が、自分がやりたいことを素直に認めて自己主張するようになった。これが、就活を通して得た一番の大きな宝物でした。神様は、霊でも肉でも私が幸せになれるように、就活を通して私を育てて下さったなと感じます。
 

神様が就活を通して教えてくださったもの

神様の御心の会社に就くというのも大きな目的の一つですが、神様にとってはそれが一番というより、もっと大きな別の御心を就活に置いているのだと思います。その人の足りない部分を直すのか、もっと御言葉に頼るようにさせるのか、祈らせるのか、人によってその御心は様々だと思いますが、一つ言えるのは神様は必ずあなたを生かそうとしているということです。

 

御心を求めながら、自分が人生をどのように生きていきたいのか、深く考える機会としてとらえてみてください。そして神様と共に、就活を楽しく喜びで行う皆さんになることを願います!

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