これは摂理に限ったことではないのですが、神様を信じる人の中には幻を見て導かれたという話を持っていることが多いです。例えば、旧約聖書でもエゼキエルなど多くの預言者が幻によって神様から使命を受けたり、新約ではパウロがイエス様を見たことによって導かれたり…。
その他、既成の教会でもそういう人は多い気がします。
先の預言者の例でもそうなように、進路をさし示す幻は「神様の厳粛さ、神聖さ、荘厳さ…」を感じさせるような、敬虔なものが多い気がします。
一方、こちら「摂理の否定的な記事を見た」という危機的状況の私。これもまた「岐路に立たされている」場面なわけです。このときに、神様が、御子が私に見せた幻とは…。
一緒にいた兄弟がお祈りしているとき、わたしは強く集中しました。今までにないほど、目をギュッとつぶって、真剣に。
その時に、わたしの目の前に「イエス様」の顔が。
「あ、イエス様だ」と思った、次の瞬間。
イエス様が、変顔し出したのです。
それはもう、おっかしい顔で。
わたしは、その瞬間爆笑しかけました。
いや、しかし。
今はお祈り中。兄弟は私のために真剣に祈ってくれている。
そう思いなんとか堪えている私の眼前(目はつぶっている)には…
とんでもなく、面白いイエス様が。
鎧を着ているイエス様。
雲り空から大きな手が降ってくる。それをイエス様がよける。…ゲームにあるようなリズムで。「ドーン」、「ヒョイ」、「ドーン」、「ヒョイ」…。
「…これは私の空想か?」
そう思ってバイクにイエス様を乗せた(幻を見た)ところ。
バイクに乗って視線から消えた…と思ったら、いきなり一輪車で駆け抜けるイエス様。両手を大きく広げて。笑いながら。
御使い二人と、ラスベガスにありそうなピカピカのステージでラインダンスを踊るイエス様。
…言葉にするとよくわからないと思いますが、相当面白かったんです。あぁ、言葉でしか表現できないのがもどかしい…。
そんな感じで、終始面白に走るイエス様。最後は雲に包まれた空の中、光輝いて…。
幻が終わると同時に、終わる祈り…そして。
大爆笑する私。
兄弟からしてみれば、「摂理に否定的な記事を見て深刻に落ち込んでいる私のために真剣に祈っていたら、突然笑い出した」わけですから、当然困惑しました…よね。
しかし、わたしはあのとき笑ったお陰で、少なくとも「鄭明析先生が教えてくださったイエス様」に対しては、心を許していたのだと思います。
あのときに見た否定的な記事。それに対して「真実を、正しいことを見たい」と真剣に祈った私を見て、働きかけてくださったのでしょうか…。
この記事を書いたブロガー
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「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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