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東京パラリンピックを見て思ったこと~自分の夢を塞ぐもの~

おはようございます、satoです。
本日二回目のワクチン接種をしました。注射の瞬間から左腕に異物感が出ており、時たま関節痛やら頭痛やらしますが、今のところ元気です。
左手がしびれて動かなくなる前にブログを更新します。

…もっとも、もし熱が出るとしたら明日なのですが。
明日ブログが更新されていなかったら、「あぁ、高熱で動けなかったんだな」と思ってくださればと思います。

さて、前に東京オリンピックを観戦して思ったことを書きましたが、今日はパラリンピックを観戦して思ったことを書きます。
例年オリンピックに比べるとTV放映が少なく(NHKが発信しています)、なかなかじっくり見ることのできないパラリンピックですが、今回はちょこちょこ見ています。
(条件の一つである「メディアコントロール」の関係で、がっつりは見ていませんが)

まず率直に思ったのは

ここまでの技術を身につけるためにどれほどの鍛錬をしたのだろうか…

ということです。

たとえば、車いすテニスはテニスをしながら、車いすを動かして移動して、また打って…としているわけですから、腕の筋肉が普通の人より必要です。実際、車いすテニスの選手は腕の筋肉ががっしりついていました。
無論それだけでなく、テニス自体の技術も必要なわけです。
昨日の試合でもサービスエースや鋭いリターンが出ていましたが、これは普通のテニスと同じくらい鋭いコースだったように見受けられます。
当然、未経験者の私が普通のテニスのルールでやったとしても勝てないでしょう…。

車いすバスケ、ラグビーも同様です。むしろ、こっちのほうがぶつかったりするのでもっと激しい気がします。そんな戦いに臨むのですから、どれほどの鍛錬が必要でしょうか…。

一連の試合を見ながら、鄭明析先生が語られたある話が実感を持って思い出されました。

私が水泳をどこで学んだか知っていますか?人はショックを受けなければいけません。
一度、パラリンピックに行きました。行ってみると足がない人、手がない人が水泳をあまりにも上手くしていたのです。
それを見ながら‘私が障害者だな’とショックを受けました。神様がそれを悟らせるために計画的にそこに連れていったのです。

‘障害者の方でも水泳が上手いから障害者ではない。できない私が障害者だ’と悟りました。

その時、覚悟をして唇を噛みしめました。あまりにも強く噛んで血が出るくらいでした。
そういう覚悟を持って何かをやらなければいけません。

1998年8月8日(土) 朝の御言葉『実践者だけが勝利できる』

こちらは 鄭明析牧師がパラリンピックを見たときのこと@CGM NAVI にも引用されている御言葉です。

私は五体満足で(発達障害のグレーゾーンにはいますが)大きな障害はありません。だけど、自分があれこれ言い訳をして、自分の気分で行ったり行わなかったりする姿を見て、強く「自分の心が自分にとっての『障害』となっている」と思いました。そして、これは手足の欠損や視覚障害、聴覚障害と違って、自分の心で克服できるものです。

パラリンピックに出ている選手は、どのような状況にあっても繰り返し練達し、その場所における一流となった人たちです。その心、考えから多くのことを学びます。

図らずも今日で教会の修練会は一区切りとなりましたが、そこでは短時間で行えないような状況でも「一つでもやろう」とした時に神様が働くことを多く経験しました。
たくさんのもがきもありましたが、自分が決めた目標は概ね達成できましたし、できなかったとしても…例えば明け方寝坊したとしても、30分祈り、神様と通じる祈りをすることは諦めませんでした。
その心で、もっとレベルを上げて自分を作っていきたいと思います。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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