おはようございます、satoです。
ここしばらく、私自身の抱えているある問題に向き合うことが多くなりました。
その中の一つが『人間関係の構築』…もう少し噛み砕いて言うと『周りへの関心を持つ』ことです。
もともと発達障害傾向にある私は一つのことに没頭しがちで、一つのことに没頭できている時にはかなり高いパフォーマンスを発揮できるのですが、
『没頭すべき一つのことがどれなのかわからない(選択をしなければならない)』
『一つのことに没頭しているときに、他のことをすること』
がとても苦手です。今までは、「これは苦手なことだ」と切り捨てていたところもあったのですが、色々祈る中で「これはなんとかしないといけない…」と克服する方向で話を進めていっています。これだけでも十分に奇跡的なことではあるのですが…。
他者への関心、それ自体はあるようです。そもそも、私は人間が好きなほうで、周りの人も好きなほうなのです。
ただ、『自分の世界』に没頭する時間が多いために、うまくできていない、というのが分析結果です。
それで、『自分の世界』を誘発するものは避ける(具体的にはメディア関連、ゲームの情報等)ということをしているのですが、それでも『自分の世界』に入り込む瞬間があります。
それが、タイトルにもある『失敗』した、『失敗』を認識した瞬間です。
スポーツをしている時、人と話している時、仕事をしている時…どういうときでも、些細な『自分の思い通りにならなかった』『指示通りにできなかった』瞬間に、『シャットアウト』が起こります。
この『シャットアウト』というのは、自分の中では「どうして失敗が起きたのか、どうやったらこの失敗を取り戻せるのか」を考えている、つもりです。
が、その実態は『かなり不安定になっている自分の心をどうにか平常心に戻す』なのです。
こう聞くと、そこまで変なことはしていない、と思うのですが、問題なのは人と対話しているときに『シャットアウト』が発生すると「何が悪いのかを分析する」「自分が本当に悪いのか、を分析する」「どうしてそうなったのかを分析する」ということを「話して」しまうことです。
相手がいるにも関わらず「自分の心の中で対話」してしまう、これが問題です。
もともと他者への関心を向けるのはそこまで苦手でないのですが、「他者への関心を維持すること」は相当に苦手で、しかも「話しているときは、自分の中で何を話せばいいのか考えながら話している」ので、「相手への気配り」が抜けてしまう、ことが多い気がします。
これは一つの癖になっているので、できるだけ早く折り合いをつけていきたいなと思います。
この記事を書いたブロガー
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「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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