「考えを間違えてはいけない」という強烈なメッセージ。

こんばんは、satoです。

ある日の水曜礼拝。御言葉を聞くために教会に来た私は、そこで大きな衝撃を受けました。
それはその日伝えられた御言葉の主題が

「考えを間違えてはいけない。記憶してこそ嬉しい」

だったのですが、それがあまりにも私に向けられての御言葉だったからでした。

振り返ってみると、うまく行かない一日でした。
いつもより寝ていないこともありますが、集中力に欠けて、何をやっても不安で、しばしばメディアも見たり、心もうまく神様に向かず…。
礼拝前にしっかり準備をしたのですが、直前にあることに気づいたのです。
それは「自分が『自分はダメだ』という否定的な考えに囚われている」ということ。

ここ最近書いている論文のことで教授からもっと改善するように言われたことがきっかけでした。
その教授の話していることは自分の書いた内容ではまとまっていないから、もう少しうまくまとめるように、ということでした。
しかし、私はそれを見て「自分が時間を投資しなくて論文を読み込めなかったからだ…あの程度の読み込みではダメなんだ…」という考えに陥り、「私の研究に対する姿勢がダメなんだ…こんな感じで研究者を目指そうだなんて…」と否定的な考えにハマり、しまいには「自分は本当にダメだ…」となっていました。
そして、このことが今日一日の調子が良くなかったことに繋がっていました。

そう、私は失敗すると「否定的な考え」に陥りがちです。
いや、むしろ「否定的な考え」に凝り固まっていて、失敗するたびにそれに強く囚われてしまうのです。
そのことに、気づいたのです。

とはいえ、礼拝中に気づいたそれをどのように処理すればいいのか分からず。
慌てていた私が上の主題を見た瞬間。

satoよ、考えを間違えてはいけない。

と神様が私におっしゃっていることを脳に衝撃が来るほどに感じました。
これでもか、というくらいに。ここまで衝撃的に感じられるのは年に一回あるか、ないか…。

その前の年も私の悩みに対する答えとなる御言葉がこの時期にありました。その時も確かに答えだったのですが…。

御言葉の内容も、「否定的な考えに凝り固まると、神経性の病気になる」という御言葉など「考え」についての内容で、まさに今の私に…というより今まで生きていた私の問題の核心を突く内容でした。

私は、否定的な考えによってうまくできなかったのだ…。
このことを痛切に悟りました。
確かに、つい先日も否定的な考えに囚われ危機的な状況に陥っていました。
本当に、一歩間違えると取り返しのつかないことになるくらいに。

仮免試験の失敗の時、「失敗したときには神様に率直に告げればいい」ということを深く実感しましたが、このことがその週にあったのも私にとって大きなことでした。
何故なら、私が一番「否定的な考え」に囚われやすい失敗という状況に対する答えが与えられたからです。
…本当に、今週はすべてのことが私のために働きかけている、と言ってもいいくらいです。

危機的な状況からも救ってくださり、そのことのきっかけとなる「私に残っていた間違っていた考え」もなくすことができました。
そして、さらに私の問題の核である「否定的な考え」に気づかせ、それを解く方法まで教えてくださいました。
本当に感謝しかありません。
ひたすら神様により頼み、私の根本的な問題を一つ一つ解いていきます。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。