おはようございます、satoです。
今日は聖書をゆっくり読んでみました。ここ最近はじっくりと読めていなかったので、ご飯を食べる前にじっくりと読んでいました。
その時にふと浮かんだのが、「どうしてこの人たちはこんなに神様のことを信じて、神様のために生きているのだろうか?」という疑問でした。
最初は「その人達がなにか神様に助けてもらうために」やっているのではないか?というよくある考えが浮かんだのですが…それだけだけでは信仰生活で辛いことがあったときに耐えられず不満が出てしまうと思います。
しかし聖書を読んでみると…実際にはそのようなことはなく、むしろ自ら喜んで神様に仕えているようなのです。
それはどうしてなのだろうと考えたときにあることに気づいたのです。
この人たちは、神様によって自分が創造されたことを認めて、心から感謝しているんだ。
自分たちが今存在しているのは、神様のおかげなのだと分かっているのだ。と。
そのことに気づいたとき、同じように今私が生きていること、そもそもこの世界に存在していることが神様によって創造されたからなのだと認める心が湧いてきました。
実は今まで、自分自身が神様に創造されたことを認めたり、神様のために生きることに少し抵抗感があった時期がありました。特に信仰を持った当初は自分の存在、自由意志が奪われるような感覚がしたので…過去の経験から「自分の意志や心が抑圧されること」に対して強い反発をしてしまうのです。
しかし、長い信仰生活の中で神様が自分の存在や意向を認めてくださることを知るようになりました。それで、神様のことを認めるようになってきたのだと思います。
今では、神様が創造してくださったから自分が存在することを認められるようになりました。そして、今生きていることが当たり前でないことを考えると、本当に神様への感謝の心が自然と出てくるようになりました。
日常のちょっとした時間で、自分が大きく変化していることを感じた、良い時間でした。
この記事を書いたブロガー
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「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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