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「自分自身」を諦めない

おはようございます、satoです。
今日の主日礼拝で伝えられた「霊と魂を分かって霊的な人になりなさい」という御言葉。
私はそれを聞きながら、一つのことを悟りました。

ここ最近、自分が「御言葉と向き合えていない」ことを悔い改めました。
昔は御言葉に対して真剣に聞いていたことを思い出したのです。
すべての御言葉が分かったわけではないし、そもそも聞き取れていないものもあったのですが、それでも自分が聞いた御言葉はひとまずやってみようと思ったり、どうしても受け入れられず苦しみながら向き合ってきた以前と比べ、今はどこか「自分の生活やしたいこと」を優先していたように思ったのです。
だから、そのことを悔い改めました。もう一度、御言葉と真剣に向き合おう、と。

ただ、自分が御言葉を聞きながら「これ以上は頑張れない」という気持ちが湧き出ていました。
それは自分にはハードルが高い…というより「自分はここで良いや」という気持ちでした。
それで、すごく苦しんでいました。
でも、最後の最後「大変だからといって諦めた人はもっと大変な位置で、もっと苦痛を受けながら生きる」という一文を聞いたときにハッとさせられたことがあったのです。
それが、いつの間にか「自分が自分のことを諦めてしまっていた」ということでした。

自分の中で「自分がキレイになれない」という気持ちをずっと抱えていて、そのことで悔い改めてはいたのですが、少し前にリズムを崩していたときにそのまま諦めてしまっていたのだ…と気付き、そのことを改めて悔い改めたときに…再び前を向く力が湧き上がりました。
頑張れそう、もっと良くなれそう、という気持ちを持てるようになりました。

こうやって、御言葉を通して力を与えてくださる神様に心から感謝します。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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