こんばんは、satoです。
私は今、人に教える機会がたくさんあります。
神様の御心があって私の先輩を介して機会を与えてくださいました。
今日はその中で感じた悟りを一つ書きたいと思います。
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教えるもがき
教えることは全て今まで自分が勉強してきたことです。たぶん、テストをしたら満点とはいかないまでもある程度の点数を取ることができます。しかし、いざ教えようとすると「これはどういう風に教えたらいいのだろう?」と色々考えました。
高校の時には「ただ与えられた公式を使って解く」だけだった学校の勉強。しかし、教えようとすると
「どうしてそのようになるのか」
とか
「どうしたら聞いている人が理解できるだろうか」
とか…そもそも「自分が理解できていない」ということもたくさんありました。
だから、初めて教えるときは本当に苦労しました。
他に自分がすべき研究や生活をしながら、教える内容を理解して、授業を準備して…という半ば火車状態でした(笑)
そうしていざ教えてみると、聞いている人がうまく理解できていないということが多くありました。
私は最後に理解の確認のためにテストをするのですが、半分くらいの人は何かしら間違えていました。単なる計算ミスということもありました。
しかし、教えたことがちゃんと入っていないということのほうがはるかに多かったです。
また、自分の中ではしっかり準備した、と思っていてもいざ話してみると「あれ、ここってどうなんだろう…?」と考えることもありました。
時には間違ってしまって、授業中に訂正したこともありました。
こういう意味で、やはり言葉にするのは大事だなと思いました( ;∀;)
自分がしっかり教えられなかったために、しっかり私の授業に出てくれた人が点数を取れないということにいつも心を痛めました。
授業にあまり出なくて成績が取れないのは…残念ながら私にはどうすることもできません。
しかし、私の話を聞いてくれているのだけど分からない、ということは私の教え方に問題がある、ということです。
そういうことを踏まえ、反省して毎年もっと良い教え方はないか、色々試行錯誤をしていました。
ある日のこと、教えていた人から…
そうこうしながら、今年で3年目を迎えました。
何回かやるうちに学ぶ人のつまずきが見えてきたので、それを解消できるように一つ一つつなげながら教えられるようになり、授業のテンポもよくなってきました。
そして、自分の授業を聞きながら反応してくれる子も何人か見られました。そういう人はちゃんと理解していることが分かりました。
ある日のこと。
今年私が教えていた人と偶然会うようになりました。
その人は私の授業をしっかり聞いて、反応をしてくれる人でした。
久々に私に会うと
「教えてくれていた内容がとても繋がっています!ちゃんと土台ができました!
今勉強していることにもどんどん出てきます。」
と喜んで話してくれました。
それを聞いて、私もとても嬉しかったです。
私が教えてきた内容は今後勉強するところの基礎になる部分で、まさに私の教えたことを使えてくれているんだなと分かったからです。
私のこれまでのもがきが一つ実を結んだ瞬間でした。
教える人にとっての一番の喜び
この出来事を通して、私が感じたのは
「教える人にとっての一番の喜びとは、自分が教えたことを生かしてくれていること」
なのだ、ということです。
これは、御言葉にも当てはまります。
御言葉を教えてくださる鄭明析先生は、御言葉を伝えるときに金銭や名誉を求めません。
実際に摂理で御言葉を聞いたとき、金銭を求められたことは言葉だけでなく言外のニュアンスを含めたとしてもありませんでした。
金銭だけでなく、従属関係やその他の関係を要求することもありませんでした。
それはどうしてなのか、というと鄭明析先生にとって、御言葉を教えることの一番の喜びは
「聞いた人がその御言葉を使って神様を信じ愛せるようになること」
だからなのです。
御言葉を聞いて、私が信じてその通りに神様を愛することが一番の願いであり、喜びなのです。
それはひいては御言葉を与えてくださった神様の喜びでもあります。
今はさらに教える機会が増えていますが…一つ一つ真心で準備をしながら、その場でも御言葉を生かして神様を喜ばせていきたいと思います。
この記事を書いたブロガー
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「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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