おはようございます、satoです。
ある時、お客様が北海道に来られて、色々なことを話してくださいました。
それを通して感じたことはたくさんあるのですが…一言でいうと
「私って、こんなに愛されているんだな」
ということ。それと同時に
「私って、こんなに愛されていいんだ」
ということもありました。
ちょっとおかしな話ですが…私はツイッターとかで辛い話を聞いたりすると
「私は幸せになってはいけないのかな」
なんていうことを無意識下で考えてしまいました。なぜかというと、
「どうしてあんたはこれだけで愛されるのか?私はもっと苦しんでいるのに!」
という声が聞こえていたからです。むろん、大半の人はそんなことを本当に考えてはいないし、思ってもいないでしょう。
でも、私は昔の経験と様々なやり取りを見ているうちにそう考えてしまったのです。
実際、そういう人ともやり取りをしているんですが、大抵は良く接してくれます。
ちゃんと相手のことを配慮しながら、接する気持ちで接すれば皆本当によく接してくれるのです。
やはり「自分がした通りになる」ということでしょうか。
「私よりもっとふさわしい人がすべきだ」
「私が心を開いたら罪を犯す」
そんなことを考えて、いつの間にか心を閉じていました。
でも、聖三位は私の足りなさをいつもご存じで、いつも私の手をつかんでいるってこと。
そして、それは私だけでなく様々な歴史的な…先祖の義の上にあるもの。そのことを思い出しました。
神様がそこまで見て接してくれているのに、私が掴まなくていいんだろうか?
そんなことを、笑いながら、色々な話を聞きながら思いました。
どうして私のことをそんなに褒めるんだろう、ってくらい褒められたのですが…実際、私の心を見て神様がおっしゃっていたんですよね。
私、もっと幸せになります。幸せに生きます。
その愛で辛く思っている周りの人も力を与えてあげられるくらい。
もっと喜んで、楽しく生きます(*‘∀‘)
この記事を書いたブロガー
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「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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