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「ペテロと魚」に見る、経済の根本。

おはようございます、satoです。

イギリスのEU脱退、アメリカ大統領選でのトランプ大統領の誕生を筆頭に、各国のポピュリスト(愛国主義、というより「自国以外の人は排斥する」という考えの人)が進出しています。
これらの流れを見てみると、今までの国際的な政治活動によって自分たちの生活が改善されなかった、あるいは苦しくなったことを受けて「より自国を強化すべき」という考えが強くなったように見受けられます。
このような流れの中で以前衆議院選挙があった時、ある政党のチラシを見てみると

アベノミクスによって企業が力をつけたが、それが国民に還元されなかった。

と書いてあって、それを差してアベノミクスは失敗したと書いていました。私はこれを見て以前読んだある記事を思い出しました。その記事は最近起きたイギリスのEU脱退(ブレクジットとも)に関して、その根本にある「新自由主義」の限界を指摘している内容でした。
新自由主義というのは、簡単に言うと「市場機能を民間で自由にさせる」という考えで、政府が市場を操作することを自粛することで活発な経済活動をさせようというものです。
これによって「うまくできた分代価として経済が流れる」ようになり、資本主義がより栄えました。行った分得られるなら皆頑張れますからね。

ところが、この新自由主義は「うまくできない人」には冷たいです。
たとえば、お金が元々ない人は経済活動が活発に行えません。
大学に行くにしてもお金が必要で、大学に行けないと今のご時世いい会社につけずお金が得られないからです。こうして起こるのが「所得格差の連鎖」というわけです。
また、途中で病気などの理由で働けなくなったりすると復帰することが難しいです。こういう問題が「働きたいけど働けない主婦」という問題を生み出します。

理論では「うまくできる人が多く経済を得ることで、最終的には貧困層を助ける」という流れだったのですが、実情は「お金を得る人がもっと得て、得られない人はもっと得られない」という状態になってしまいました。労働者層の中でこういった不満が溜まった結果が「ブレクジット」であり「トランプ旋風」なのです。

こういったことを考えると、新自由主義というのが今の時代に合っていなかった、新しい経済の理論が必要だ、ということが感じられます。それではその理論とはどういったものとなるのでしょうか?

ここで、ペテロと魚の話を思い出しました。

この動画の中にもありますが、ペテロは「お金がなくて税金が払えない」という状況の時、イエス様の御言葉を受けて、「御言葉を伝えてその人の問題を解く」ことで銀貨を得ることができました。
これって、経済の本質のように私は思います。つまり、経済とは本来「人が抱えている問題を解決する」時に得られるものだなと。
そもそもお金というのは「物々交換」から「金との交換のための券」というのを経て作られたもので、根底には「信頼関係、相互関係」があります。
相手を信頼するからお金を与える。自分が信頼するからお金を払う。
そうやって経済活動は成り立っていると思われます。

それならば、今経済問題を解決するには単に「経済活動をする」というだけの視点から、その人の抱えている問題をどうやって解決するのか、ということを考える視点に移っていくのが大事なのかなと思います。
…経済に関しては不勉強なため、推測ばかりで申し訳ないのです(´・ω・`)

経済の問題を抱えているときは、それより「身近な人にある問題」を解く、そんな視点を持っていきたいです。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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