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言葉だけでは分からない実体を探す。

おはようございます、satoです。

私はいつもこのブログを書いていますが、一番苦労するのは自分が感じたことをどのように言葉に表現するかです。
ブログを書きながら、「なんか違う…」とうまく表現できないことにもどかしさを感じてます。
しかも、なんとなく言葉のイメージは浮かぶのだけど、うまく思い出されないのが…(´・ω・`)語彙力の問題もあるのですが、そもそも根本的には言葉というのはあくまで「実体」を伝えるための手段であって、言葉だけですべてを伝えることができないということがあります。

だからこそ、物語を書く時は「言葉をうまく重ね合わせて」言葉にならない情景を表現するようにしたり、写真を使ったりするのですが…。
でも、それも足しにはなるけど、うまく伝えられない、どこかで限界が来ます。

摂理で聞く御言葉もこれと同じだと思います。
私たちは文章で御言葉を読みますし、説教を聞きます。文章を読むより説教を聞くほうがより実体を感じられるのですが、それでもやはりすべてを伝えられません。
御言葉は「実体の聖三位、実体の主、実体の歴史」を伝えるためのものです。だから、御言葉という「言葉」だけでは完全に実感を持つことは難しいです。

では、どうしたら実感を持てるのでしょうか?

最終的には御言葉を聞いたら、それを行なってこそ実感が湧くんです。
実際、先週色々御言葉を実践すると確かに「御言葉で仰ったとおりだな」ということを実感するようになりました。
実体は実体なので、「実際に行う」ことでしか感じられないこともあります。
そして、それを伝えるためには「行なっているものを見せる」のが一番なのでしょう。

新約時代にイエス様が送られたのはそのためです。
イエス様は神様の御言葉を伝えもしましたが、それ以上に神様の御言葉と御心、愛を実践し、一人一人を愛しました。
それは

イエスは彼に言われた、「ピリポよ、こんなに長くあなたがたと一緒にいるのに、わたしがわかっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのである。どうして、わたしたちに父を示してほしいと、言うのか。

口語訳聖書 ヨハネによる福音書14章9節

神様の御言葉を、神様の愛を実際に行なうことで、「実体の神様」を表すためでした。

鄭明析先生もまた、神様を愛し、そして貧しい人や心の病に陥った人に施し、私たち一人一人に愛で接してくださいました。
それは、イエス様がした愛、そして神様の愛の「実体」を伝えるためでもありました。
このように、神様があなたを愛している。
そのことを伝えたい思いでなさったのです。

ネットが普及し、言葉による情報が多くなった現代。
言葉が多くなった今ですが、言葉だけでは表せない「実体」があります。
今だからこそ、実体を見ることがとても大切です。

わたしが父におり、父がわたしにおられることをあなたは信じないのか。わたしがあなたがたに話している言葉は、自分から話しているのではない。父がわたしのうちにおられて、みわざをなさっているのである。わたしが父におり、父がわたしにおられることを信じなさい。もしそれが信じられないならば、わざそのものによって信じなさい。

口語訳聖書 ヨハネによる福音書14章10-11節

そのわざ、行ないを見て「真実」に触れる人が一人でも多くなることを願います。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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