こんばんは、satoです。
信仰生活をしていると少し調子が悪くなることが時たまあります。
私の場合、自分がこれまで研究してきた結果をまとめる、ブログを書く、仕事に必要な書類を作成する、などといった「自分がしたいこと、すべきこと」をやりたいという気持ちがありながら、何故か行えず、時間を浪費していたことが続いていたのです。
そうやって、うまく使えない時間の間、ネットなどで世の中のことを見てしまって、さらに調子が崩れる…。
のですが、摂理で御言葉で「自分が願っていたことが駄目になっても失望するな。もっとよいものをくださる。」というものがあります。
自分自身や、命や、自分の子を管理し教える時、<穀物>や<さまざまな果樹>だと思って接しなければなりません。教える時、育てる時、管理をする時、腹が立つからといって、大変だからといって、うまくいかないからといって、気持ちを痛めつけられたからといってやめることなく、その時、持続的に水をやり肥料を与えるように、そのようにしなければなりません。
-[鄭明析牧師による主日の御言葉から] 1.自分が願っていたことが駄目になっても失望するな。もっとよいものをくださる。2.行なう人は攻撃し、行なわない人は攻撃される。
というわけで、上手く行かないことがあっても、自分に落胆することなく、放置することなく「もっと御言葉に投資、実践に投資」しました。そうしたら、下がっていた調子が少しずつ良くなっていきました。そして、行なったとおりに得られるようになりました。
しかし、ちゃんと上がっていた調子が、一人になった途端うまく行かず、再び下がる…という繰り返しが続いた今日。
用事を済ませに大学から出ていこうとする時、その原因がわかったのです。
それは「結果をまとめるときに躓いたところを放置していた」ことでした。それによって、研究がうまく進まず、立ち止まってしまうようになりました。
そういうときに何をすれば良いのかわからず、歩き回っていたのがそもそもの始まり…ということに気づいたのです。
そして、今日原因と同時に「解決する方法」も分かりました。
「そうか、今までの結果をまとめる際にうまく書けないところがあったら…もう一度そこをノートで整理すれば良いのだ」
ということでした。そして、これを早速実践しました。すると、書こうと思っても書けなかったところが整理され、ちゃんと書ける形にまとまりました。
さらに、その結果がどうして成り立つのか考えるように神様が感動を与えてくださり、そこから一般の場合での問題につながりました。
鄭明析先生も神様からの啓示を直ちに記録したら、神様がすぐに次の箴言をくださった、という話を御言葉で聞きました。
神様からの感動、御言葉を貴重に思ってこそ、神様はもっと御言葉も感動も与えてくださるのです。
ここ最近、研究をしながら、この話が本当に理解されました。私も瞬間来る感動に従い、計算したり記録をすると、神様がもっと霊感をくださって、さらに深い問題を提示してくださったり新しい結果を発見できることが多いからです。
おかげで、ここ2,3日触れていた世の中の情報がほとんどなくなりました。だいぶ調子を取り戻しました…(`・ω・´)ゞ
やはり、私にとって「数学を考えること、計算すること、記録すること」は生活の核なのだな、と改めて実感するようになりました。
この記事を書いたブロガー
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「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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