サイトアイコン 摂理研究所/キリスト教福音宣教会

私の人生には賛美が絶えない。

私が一番つらいとき。

摂理にいるなかで苦しくて、心が乱れて、祈れなくなるとき。

摂理の御言葉を聞いて心が受け入れられず苦しくなるとき。

私は「讃美歌」を歌っていた。
賛美を心を込めて、集中して。

そうしたら、心が楽になり、神様に向かう愛を思い出す。

「賛美は、曲のついた祈り」。
私の心の奥底に眠っていた「神様を愛する心」が呼び覚まされ。
その心が、私の口を通して神様に向かい。
神様が受け取られ、喜ばれているのだろうか。

その喜びが、私の霊に届いて、魂を通して。
私の心の喜びとなり、肉体の力となるのだろうか。

「摂理の賛美は、御言葉を歌詞にしたものだ」。
その賛美の歌詞を深く思えば、そこに溢れる三位の思い。
御言葉を私の脳が思い出し、
私の考えを刺激して、乱れて散り散りとなった心を一つにまとめ。
決心させ、行わせる。

いつも心に喜びが溢れるときも。
力が欲しいときも。

私は言葉にするのが下手だから。
だから、私は賛美を歌う。

気がついたら、賛美を歌っている。
神様を褒め称える賛美を。
主への愛の告白を。
主の哀切な心情を。
摂理への希望を。

喜び、楽しみ、悲しみ、涙。
そのすべてを口を通して表現する。

私には歌の技術はないけれど。
それでも、毎日歌う。

私の人生には、讚美を通して、三位が共にする。
そう信じて、今日も歌うのです。

No music, No Life. No gospel, No Life.

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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