おはようございます、satoです。
唐突ですが、今日は「デカルト」について語ります。
デカルト、と言えば「我思う、故に我あり」で有名な哲学者ですが…それと同時に数学者でもあります。
今日は「数学者」の視点でデカルトがしたことについて書こうと思います。どうかごゆるりと…。
私たちは車でドライブするとき、いつも「カーナビ」を使いますよね。(もしかしたら地図派の人もいるかもしれませんが…。)そのとき画面には「自分達の位置の座標」が映っています。座標があるから、私たちは機械を通して詳しい位置情報を把握することができます。
この「座標」という考え方を開発した人、それがデカルトです。
デカルトの座標という考えによって、幾何学(形の性質について調べる数学の分野)が大きく変わりました。
それまで幾何学は「三角形」や「円」などの「定規やコンパスで書けるもの」について調べられていました。その方法もちょっとパズルっぽい(高校の数学Bあたりでやった人もいると思います。)し、どちらかと言えば見てわかる性質を調べていました。
ところがデカルトが座標を開発してから、図形は「数式」で表現できるようになりました。それによって、見た目にはわからない「深い性質」を調べられるようになりました。
私たち人間は物を認識するとき「言葉」ではなく「実物」で認識します。テレビという言葉を聞いたら、「あれはブラウン菅で見えるようになって(←古い)、電波を受信して映像を…」なんて説明ではなく、
↑これが浮かぶでしょう?
図形も同じで、人はこうやって多くのことを「画像で」認識しています。
ところが、この「人の見る映像」には様々な誤謬があります。
たとえば、錯視とか錯覚。この二つの直線、どっちが長いでしょうか?
これ、動いているように見えるでしょう?でも、写真なんです。
あと、切れているものが繋がって見えたり、一見なめらかでも顕微鏡で見てみると結構でこぼこしてたり…。
人の見るものには「間違い」が多いのです。
「我思う、ゆえに我あり」という言葉を生み出したデカルトの思考実験の中で、彼は「少しでも疑いがあるものは正しいと認めない」としました。その中には「図形」もありました。彼は「見た目」だけでは判断しなかったんです。
そんな彼は「数式」に信頼を置いていました。数式の結果は(私たちがミスをしない限り)正しいからです。
(一度は上記カッコ内の理由で数式も正しいとしませんでしたが、色々な思考の末に数式の正しさを確証しました。)
それで、座標という「図形を点の位置の数字で表す」ものができました。
正直直線や円を数式を見ただけでわかる人はそこまでいないと思います。しかし、数式にすることによって様々な見えない性質、そして面白い問題が生まれました。
また、座標を使って数字で位置を決められるお陰で、「カーナビ」が使えます。コンピュータは「映像」を認識し利用するより「数式」を認識し計算する方が楽でとても速いからです。
こうして私たちは今、快適な生活ができるのです。
このように、すべてのことには「目に見える性質」と「見えない性質」があります。人間でいうなら「肉」と「霊」です。
見える性質はわかりやすいです。人間は見えるものは認識しやすいので。
しかし、見えない性質を知ることによって、見える性質をより深く理解し、さらにそれを使ってもっと快適な生活ができるわけです。
鄭明析先生の今週の御言葉で「肉の仕事より霊の仕事を先に行いなさい」という話がありました。霊の仕事を先に行うことで、肉の仕事もうまく行えるからです。
肉の仕事のほうがわかりやすく簡単で、すぐできそうで、すぐに結果を得られます。しかし、霊の仕事を先に終わらせることは「座標を開発したことでカーナビが利用できる」ように、最初は大変でわかりにくくても、終わらせてしまえばあとでは肉のことも楽になります。
だから、目に見えない仕事、より先にすべき「霊的な仕事」が一番優先すべきことなのだと、デカルトの仕事を見て思いました。
あと、言葉にするということも大事ですよね。
言葉にすると相手に真意が伝わりにくくなる一面もありますが、一方で「時代が変わっても伝わる」し「機械でも認識できる」という一面もありますから。カーナビも数式で動いてますしね。
そういう意味で、霊界のことについて御言葉を書いてくださった先生はとても大きいことをしたんだなって、私は思いました。
この記事を書いたブロガー
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「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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