おはようございます、satoです。
突然ですが、皆さんは「カルチャーショック」受けたことありますか?海外に行くとその文化の違いに衝撃を受けた、というアレ。
特に西洋に行くと、そもそも見た目が自分と違うし、話す言葉、家、自然、全てが異なるわけですから…もはや「異世界」です。
このカルチャーショックによって自分の常識がガラガラと崩れて、新しい世界観が育まれることもあれば、自分の国のいいところを再認識し、より大切にできるということもあるし、あるいは…自分を見失って自信をなくしてしまうこともあるかもしれません。
しかしながら、これは何も海外に行くとか、外国の人と接するときだけ経験できることではありません。
自分と違う生活をしている人と共にしたら、こういうショックは誰もが経験します。
たとえば、大学のサークルにも独自の文化があります。最近はアルハラの問題もあってだいぶ抑えられている印象ではありますが、飲み会が多いとか。あとは「激盛りのご飯屋さんに行って、そこで一番多いメニューを食べる」通称「食い極」なる文化とか。(北海道だけ?)はたまた夜は一人の家でゲームとかするとか。そういう「サークル独自の文化・ルール」を知らないで見ると衝撃を受けるわけですね。
摂理に来てから私は色々な人と共にするのですが、今でもこういうショックを常に経験します。「本当に生き方違うんだな…」ということはしばしば。
それもそのはず。摂理ではそれぞれ「異なる環境で生きてきた」人たちが「御言葉」を聞いて共にするので、自分と生き方が違うということは当たり前なのです。
もっとも…どちらかと言えば、私が周りにショックを与えている方が大きいようですが。
摂理に来るまで気付かなかったのですが、私の家庭の生活は世間から見たら「マイノリティー」なようです。
一つだけ例を挙げると、私の家庭ではまな板の上に常に歯ブラシの入ったコップが置いてあります。つまり、まな板にものを置いている状態が常なんです。
あと、常に本が床に散らばっている。これ、私の部屋だけじゃないですよ。茶の間がそうなんです。つまり、我が家は掃除があまりされていないんです。
そんな中で生きた私なので、摂理に来てから適応するのに時間がかかりました。なんせ摂理は「きれい好き」な人が多い。しかし、私は家の掃除の仕方すらよく知らないところから来ていたので、(周りの方が)ショックを受けていました。
しかし、こんな私でも摂理に長くいるうちに、今では「キッチンの汚れているところを見つけたら常に拭く」くらいにまではなりました。まだまだ片づけ上手とは言えませんが、すこしはきれい好きに近づいたと思います。
鄭明析先生が御言葉で「各国には言語があり、文化がある。そこに住んでいれば自分もそのようになる。」という話がありました。そのように、摂理に長くいることで自然と身に着いたのだと思います。
こうやって変化できたことも、感謝だなって思いました。
この記事を書いたブロガー
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「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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