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摂理の中の私と神様。その4

魂体。
これは後の話だが、この言葉は摂理で2012年に初めて宣布された。この御言葉を聞いて、私は色々解けた。
私は元々自分が「二人」いるように感じるときがあった。
何かを行う自分と、それを見ている自分。行う自分はもちろん肉体。では、それを見ている自分は…?
この自分があるゆえに、私は友達のそばにいるときでも、他の人の悪口は言わなかった。「その人が聞いているかもしれない」し、「どこかで伝わるかもしれない」と思ったからだけど、それ以上に「自分が知っている」からだ。
また、私はよく夢を見ていた。たくさんの夢。それもはっきりとした「色つきの」夢。
一時期は感覚まであるものもあった。頬を噛む感覚(痛みがないと夢だ、ということで夢かどうか確かめるために)、物を触る感覚…しかし、肉体で感じるほどではない。
他の感覚に比べて、視覚は比較的はっきりしているように感じた。
そんな「二人いる」感覚が本当に嫌だった。気持ち悪かった。それは御言葉を聞いてからさらに強くなった。
御言葉を聞いて喜ぶ自分と、嫌がる自分。
喜んで踊る自分と、それを見る自分。
賛美を捧げる自分と、ある人を見る自分。
「本当の自分は、どっち?」
その答えが、「魂体」の御言葉だった。
つまり、両方共に自分だったのだ。ただし、片方は肉、もう片方は霊に属する二つの心、そしてその狭間にある魂体。見ている自分の正体がわかったのである。
そして、この魂体について知ったときに自分が体験した不思議な現象についても解けた。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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