サイトアイコン 摂理研究所/キリスト教福音宣教会

摂理人が「集団的自衛権」を通して考えたこと。

こんにちは、satoです。
以前記事に取り上げた「集団的自衛権」、今週閣議決定されてしまいましたね。これから法整備を加速していくとのこと。いよいよ…歯止めが効かなくなってきました。
当然、ネット内外問わず様々なところからこの決定に対して「反対する」声が上がっています。それはそうですよね。みんな戦争はしたくありませんもの。
中には「戦争をしたいなら、首相から戦場に行けばいいのでは?」という書き込みまでありました。これについては何とも言えませんが…。でも、結構同意している人は多いんですよね。
さて、せっかく「集団的自衛権」について多く語られているのだから、摂理人である私はこの問題について「鄭明析先生の御言葉」を使って考えていきたいと思います。
鄭明析先生はかつてベトナム戦争に派兵されました。そこで多くの命が奪われる残酷な現実を目の当たりにして「このような悲劇は起こしてはならない」と命の貴重さを深く悟りました。そんな先生はこの問題についてどのように考えているのか?
「集団的自衛権」、この問題の根本は「日本が戦争に巻き込まれるのか、戦争をするのか」です。それに対して答えは「戦争はしてはいけない」です。だって、「神様は戦争をしてほしくない」からです。神様は何よりも「命」を貴重に思われます。だから、それが奪われる「戦争」は絶対したくないのです。
では、神様がそう願われているにも関わらず、どうして戦争は起こるのか?
先生は「地上の歴史は神様と人間が責任分担を果たすことによって成される」とおっしゃいました。そう、問題なのは人間の方なのです。神様がどんなに願われたとしても、人間がうまくできなければ神様の理想世界、「争いがなく、喜びが絶えない」世界は生まれません。それでは、人間のどこが問題で「戦争」は起こるのでしょうか?
…この問題、正直「大きすぎ」ですね。実感が湧かないです。
そこで、もう少し身近な例を考えてみたいと思います。
皆さんには「嫌いな人、争っている人」っていますか?あるいは、いましたか?ケンカしたことがありますか?
絶対どこかであったと思います。もしいなければそれは「周りに対して無関心」であるか「自分をすべての人を愛せるくらいに作った」かのどちらかでしょう。では…何故「その人が嫌」なのか、少し考えてみてください。
あなたが思い付いたその答えは、「国が戦争をする理由」と同じです。
たとえば、兄弟ゲンカの理由が「晩御飯のハンバーグの取り合い」だったとしましょう。これと同じく、ロシアとウクライナの紛争も「資源の取り合い」が一因です。
たとえば、「過去いじめられたから、復讐のため」いじめたとしましょう。それは日韓問題の原因の一つ「日本が韓国を侵略したから」でもあります。
たとえば、「お互いの思想がぶつかり合う」のが原因としましょう。それは今も続く「イスラム過激派のテロ行為」とその報復による戦争と同じ理由です。
規模は違うけど、確かに同じでしょう?
端から見たら「晩御飯のハンバーグなんて、半分に分ければいいじゃん…」と思いませんか?ところが、当事者はそうではないのです。「とにかく一個ほしい!」と互いに思うからケンカになるのです。
もし、どっちかが「あげるよ」もしくは「半分にするか」と言えば…正直ケンカは起こりません。しかし、当人は「そんなことを考えている余裕がない」くらい「ハンバーグがほしい!」のです。
(兄弟が多い私の家族でも、この争いはよくありましたが…実際経験してみて「その通りだな…」って思います(笑))
こう見ると、結局「人間の考え」が争いを生む、ということが見えてきます。人間が「自分本位」に考えるから戦争は起こるのです。もちろん色々複雑な事情があると思いますが、根源的にはこの「自分の考え」が問題だ、というところに変わりはありません。
ここまで話して、あなたに質問をしてみたいと思います。
「あなたはどうやったら…戦争がなくなると思いますか?」

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
モバイルバージョンを終了