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摂理人satoをプロデュース。by Lord. その3

サークルと摂理、この二つで板挟みになっている間、私は葛藤しました。
「摂理の礼拝には行かなければならない、けれど、サークルはやめたくない…」と。
しかも、摂理の御言葉を聞いていると
肉だけが満足する付き合い方でいいのか?とか神様がいない集まりなんて意味がないという感じの話が出てきて、その話が出るたびに「これって、サークルのことかな…」と思っていました。なんか…神様は私に「サークルをやめなさい」と命じているような…と感じました。もっとも、当時は「否定的な捉え方」が強かった時期でもあるので、これは神様の命令、というよりは「私自身の歪んだ捉え方」である可能性は高かったと思います。(…神様がサークルを続けてほしい、とまでは思っていないでしょうが。)
しかし、そこで私の特性「自分が納得しないと絶対受け入れない、昔のやり方にこだわる」vs「聞いた通りにやらないと!」が発動!(…両方とも、私の特性なのだと思います。)一方では「サークルをやめることに対する心理的抵抗」と「私がサークルでやりたいことがまだできていない」こと、そして「一度来たところを途中でやめるのはいや!」という考えから来る「サークルやめたくない派」。もう一方では「言われた通りにしないと!」という考えと「直感」から来る「御言葉通りにしたい派」。この二つの派閥が私の頭の中で互いに争っていました。
印象的だった出来事は、8月にあった「心神喪失事件」。
サークルの例会のために聞けなかった御言葉をあとで聞いていた時のことでした。
その日は色々疲れていたのですが、その中で「肉のものを切らないといけない」という御言葉を聞きました。
その時に私は「サークルのこと」だと思って、「サークルをやめろ、と?そんなの嫌だ。いきなり命令されても私はいやだな…。でも、神様がおっしゃることだし、言われた通りにしたい…」とずっとそのことを考え続けていました。(…後に明らかになるのですが、このように聞いたことに対して「連想」する癖、一つのことに固執する癖は実は「精神的なもの」というより「肉体的なもの」に原因があるのです。)
そして、しまいには…感情が「暴走」してしまい、プチ発狂をしてしまいました(笑)
お祈り中に我を忘れてわけのわからないことを言い出す…という。
(…あ、念のため。摂理で「強要」とか「精神的な苦痛」を与えるということは一切ありませんよ。)
兄弟が駆け付けてくれて、なだめて私のために祈ってくれました。おかげでその時は精神が安定していました。
そんなこんなで「葛藤」が続いていたのですが、そのサークル内である「神様の働きかけ」がありました。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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