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摂理と音楽、その背景。~佐村河内事件から1~

こんにちは、satoです。
最近、「全聾の作曲者」佐村河内守の謝罪会見がありました。彼の事件から「高橋選手のSP曲の問題」や「ヒロシマのゴールドディスク取り消し」、果ては「風貌が似ているリンホラのRevoが「あんたの曲は二度と買わない!」と間違えて言われる」という風評被害…(?)まで様々な騒動がありました。
この背景には、何があったのでしょう?
どうして「全聾」と偽ったことがここまでの騒動になったのでしょうか?ゴールドディスク取り消しや曲の絶版など…。音楽がただの「音の連なり」なら、彼が嘘をついていたところでここまで「音楽の評価」が変わることはないと思います。
裏を返すと「音楽はただの音の連なりではない」ということです。
つまり、音楽の中の音符一つ一つには必ず「作曲者のメッセージ」が込められている、というわけです。
そういう意味で、「人々が感動するであろう背景」を偽った佐村河内守の行為は許されるものではありません。
…ただ、そうは言っても「音楽の評価」が高かったのも事実。
もちろん「全聾で音楽を作った」という「逆境を乗り越えたストーリー」はあったでしょうが、それを差し引いても「音楽自体の良さ」はあったわけです。(例えば高橋選手は「音楽が良いからこれを選んだ」ということでSP曲は変えていません。)それは、これを作った本当の作曲者が考えた「構想」とか「心情」を感じとって、のことではないかと思います。
このように…音楽には必ず背景があって、聞く人に少なからず影響を与えます。それは神様を褒め称える賛美でも変わりません。
元々クラシックは「神様を褒め称える」ことを目的として作られているものがとても多いです。最近摂理でも楽器を演奏している方々でクラシックコンサートをしていました。神様を信じていなかった人でも聞いて感動した、という声を聞きました。それも「神様を褒め称える」という想いが込められた音楽に霊魂が感動したのでしょう。
ここで演奏された賛美はすべて牧師先生が作られたものです。
せっかくなので、このブログを読まれている方にもひとつお聞かせしたいと思います。この曲を聞いて佐村河内守事件で荒んだ心が癒されたなら嬉しいです。
『摂理の乙女』
http://www.youtube.com/watch?v=5VIDe4QcQWw&sns=em

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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