おはようございます、satoです。
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神様に栄光を帰す期間
新年最初の15日間、つまり1/1~15は「神様に栄光を帰す期間」です。
鄭明析先生は次のように御言葉で話されました。
新年を始める時に聖三位に挨拶をし、栄光を帰して始めるから、胸を張れるし、熱いし、うれしいし、気まずくないから避けることをしないし、親近感と愛を持って三位に接して過ごすようになります。
乗り物に乗るとか、どこかに行く時に、速く瞬間挨拶をしないで後回しにしたら、一日中挨拶できなくなって一日中気まずいし、一日中面と向かえないし、ぎこちない状態で過ごすようになります。
<挨拶を受ける立場の人>は「どうして挨拶をしないのだろう?何か問題があるのかな?何か私が冷たくしたことがあるのかな?」と考えるようになり、<挨拶をしなかった人>は申し訳なくて相手の顔も見られず、ぎこちなく過ごします。
生も、考えも、その時間もめちゃくちゃになります。そんなことでいいですか?神様と聖霊様と御子の前でもそうです。
だから新年を始める時<栄光を帰する期間>を定めて、神様と聖霊様と御子に<栄光の挨拶>を捧げるようにしました。
このことを分かって、みんな自ら喜んで好きでしなければなりません。-鄭明析先生の主日礼拝の御言葉「実践の年。三位に栄光を帰して、自ら実践しなさい」
確かに、私達もお世話になった人に対して新年の挨拶をしますよね。年賀状とか。
そのように、神様に対しても新年の挨拶をして、初めの時間を神様により一層捧げる、というのが神様に栄光を帰す期間の目的です。
私と栄光期間
…こう書きましたが、私はこの栄光を帰す期間をあまりちゃんと過ごせたことがありませんでした。
教会ごとで何か特別なことをすることはあって、それにはちゃんと参加します。しかし、私自身が特別に何かをした、ということはあまりありませんでした。
何かをやろうとしてもうまく続かず、喜びでできなかった、というのが正直なところです。
しかし、今年は「実践の年」。ただ「これをしてみようかな…」というだけではダメなのです!
そういうわけで、私は感動があってある場所で明け方の礼拝後に賛美と祈りをするということを栄光を帰す期間の中、神様に栄光を帰そうということでやってみました。
その場所というのは私と天の経緯がとても多いスポットで、私がなにかあるたびにここに来てお祈りをしたり、対話したり、叫んだり、賛美を捧げていました。
人が来ない、というわけではありませんが…というか時間帯によってはとても多いのですが、明け方後は人も少なく、雪景色が心なしか月明洞の自然聖殿と似ている、とても良いところです。
明け方後のちょっと眠い中、それも寒いところで賛美を捧げて祈るのは簡単なことではありませんでした。
しかし、「自分が好きなこと、したいことをしている」と思うととても心が楽しくなりました。
今までこういう条件を立てると初めは良くても、途中から「続けてやってきたから、切れるのが嫌だから」という感じで続けていたのですが、結構苦しかったのです。
しかし、今回は「主の中で自分が喜んでする」という考えで続けたからか、いつもより楽しく、祈りも深く、賛美も心から捧げることができました。
…しかし、こんなこともありました。
「本当に、これでいいんだろうか?」
この条件を始めたきっかけは、教会の中で「みんなで一緒に祈りをしよう!」という話が出たからです。
それで、まずは自分から、と思って賛美と祈りの条件を立てていました。ところが、色々あって途中で「みんなで一緒に」という形で進める方向から変わって別のことをすることになりました。
それでも、「この条件は私が好きですると決めたから…」と思って続けました。しかし、途中から「本当にこの条件をしてて良いんだろうか?これは自分が勝手にしていることなのではないか?神様は本当に受け取ってくださるのだろうか?」という考えがよぎり出しました。
こうなると、嬉しかった心がだんだんと苦しくなりました。いくら自分が好きでしているといっても「神様が受け取らない」としたら意味が無いからです…。
ある日の明け方、お祈りをする場所に行く中で、「神様、本当にこの条件を受け取ってくださっているのでしょうか?」と尋ねました。
その時、私の脳裏に浮かんだのは「1/1にお祈りをした時の情景」でした。
誰も足を踏み入れていなかったその場所。
足が冷たい、と言いながら少しずつ足場を踏み固めて、喜びで賛美を捧げたこと。
その情景とともに、神様の声がしました。
「あなたが自ら私に捧げようとする、その条件を受け取らないだろうか?」
神様は、どんな状況でも私が自ら喜んで捧げようとするその条件をご覧になっていたのでした。
このことを悟った瞬間、私の心には喜びと感謝が溢れていました。そして、一層感謝を込めて賛美を捧げました。
最後まで
こうしてなんだかんだありながら、15日間途切れることなく、賛美と祈りを捧げることができました。
最終日に賛美を捧げていたとき、感動が来ました。色々な感動があったのですが、一番は「このように、自分の行いで神様のことを伝えていきたい」ということでした。
今までは言葉だけで神様のことを伝えようとしていたけど、一番は行いなんだ、ということを切に悟りました。
摂理に来て初めて、自分の胸がスッキリするくらい神様に栄光を帰せました!
お陰で今日も喜びが溢れています(笑)
でも、一年は始まったばかり。このように生活の中でも神様に栄光を帰せる私になりたいです。
続けて、最後まで頑張ります!
この記事を書いたブロガー
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「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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