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すっぱい葡萄と私の心の変遷〜失敗と悔い改め〜

おはようございます、satoです。

突然ですが、「すっぱい葡萄」の童話をご存知ですか?
小学校の時に習う人は習うようですが、私はこれを聞いたことがありませんでした…授業中寝ていたのか、それとも集中していなかったのか(笑)
お話のあらすじはこのようなものです。

キツネが、たわわに実ったおいしそうなぶどうを見つける。食べようとして跳び上がるが、ぶどうはみな高い所にあり、届かない。何度跳んでも届かず、キツネは怒りと悔しさで、「どうせこんなぶどうは、すっぱくてまずいだろう。誰が食べてやるものか。」と捨て台詞を残して去る。

すっぱい葡萄-Wikipedia

この話を御言葉を聞きながら思い出していました。

私は今まで失敗したことがたくさんあります。
自分が頑張ってできなかった、というよりは、むしろやらなくてできなかったことの方が多いです。
私はそのことでずっと心が苦しかったです。「もしやったら得られたのかな」という後悔と、自分が失った、という事実によって。
その苦しみは、思い出す度に増し加わります。だから、思い出さないようにしていました。
「自分がこうできなかったのは仕方ない。これだけでも得られたのだから感謝しよう。成功だ」
そう、自分に言い聞かせて。

ある時、その一つ、それも最も大きな失敗について御言葉で思い出されました。
自分は失敗だと考えなかった、だけど、天の目から見たときには「失敗した」こと。その事実を思い出した時、私は本当に苦しかったです。

失敗を失敗と認め、反省した人には回復の機会が与えられます。そうして過去を乗り越えていくのです。
だけど、失敗を認めなかったら…その過去の苦しみはそのまま残り、思い出す度に出てきます。
そのことを、わかったのです。

だから、認めました。
失敗したことを。苦しいから失敗したと認めずにいたことを。
苦しかったことを。失って、公開していることを。
そして、その上で、もう一回機会を欲しいと。
その機会をくださったことに感謝することを。
認めました。

これは童話には出ませんが、高い木にある葡萄を取れなかったキツネは、ずっと葡萄を見るたびに苦しみが思い出されたのかな、と推察します。
童話では捨て台詞を吐いて、合理化したキツネ。だけど、その後も苦しみは続いたのかな、と思っています。
「あの葡萄はまずい」と合理化することで、「葡萄を取れなかった」事実を認められなかったキツネは…。

もっとも、キツネは自分の中で努力をして、その上で取れなかったのですから、「行なわなかった」わけではありません。
そこは私と違います。
もし、神様ならあのキツネになんというのでしょうかね…。

-誰か、木登りが上手な動物に取ってもらえばいい。うまくいかないなら方法を変えなさい。

-一人で頑張ろうとしないで、私の考えで行ないなさい。
あなたが他の動物に頼めば、その人と一緒に食べれて美味しい。

-合理化したら苦しみはずっと続く。もっといいものを与えるから、素直に認めなさい。

まるで今の私に語るような言葉が浮かんできたのでした。

…と、ここまでが過去に私が書いた話です。

今も失敗はよくしています。
神様と約束した時間に起きられなかったり、祈れなかったり、気づいたらネットをいじってぼーっとしていたり。
しかし、昔に比べて「失敗したこと」を受け入れて、次に向かうような考えに転換するのが早い気がします。
明け方起きられなくても、祈れなくても、次の隙間の時間を見つけて瞬間祈ったり、ネットをいじりすぎたなぁと思ったら悔い改めて精霊様を呼んだり、そういうことができるようになりました。

それはどうしてだろうか、とこの話を振り返りながら思った時

たくさん失敗して、たくさん悔い改めて、神様に赦される経験をしてきたから

だなと気づきました。
特に最近は牧師さんに失敗したことも話すようになったので、よりそれが強くなりました。
「失敗をすること」が「自分の存在そのものの否定」と繋がっていた昔と違って、「失敗をすること」が終わりでなく「次へのチャレンジ」であるということ、結局最後に成功すればいい、ということ。
そのことを分かるようになって、以前より早く失敗したことを話せるようになり、自分で悔い改めて切り替えられるようになってきました。
その上で「できるだけ失敗しないようにしたほうが嬉しいな」となってちゃんとやれるようにもなってきました。

ただ、特に人に迷惑をかけたり、傷つけるような失敗はやはり認めるのに時間がかかっている印象です。
この辺りの失敗はしないように心掛けていますが…本当に気をつけたいところです。

この辺りも「心の回復」の一環、少しずつ強く、柔軟な心に育つよう頑張りたいです。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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