おはようございます、satoです。
ここ最近集中ができなくなっている時期が続いています…(´;ω;`)
私は一つのことに没頭する癖がありますが、特に小説になると少々ボーっとする傾向が強くなりますね…^^;
小説を書くときは「御言葉を具現化する」ことに集中するので意外と問題ないのですが、「御言葉以外の部分」に目が行くと一気に空想世界に入り込んでしまう傾向にあります。
これは「設定」とか「あらすじ」とかを考える時に起こりやすいです。いや~、参った^^;
これを「没頭できるものが見つかった」と捉えるべきか、「核に集中しなさい」と捉えるべきかは神様に相談します。
これを書いてて少し空想世界から抜け出た感じがします(笑)
さて、今日は私が感じる「数学」の哲学を書きます。とりとめもなく。
私は論文を読んでいるとよくわからないところにぶつかりますが、その数式を通して「著者が何をしたいのか」が分かると、一気にイメージが掴めます。
つい最近も教授から勧められて論文を読んでいますが、最初にこの論文が何をしたいのか、何を想定しているのかが分かると一気に数式が読めるようになりました。
色々な人がいますが、私は「数学は神様が創った法則を記号によって再現しようとする」学問と捉えています。
だから、数学を通して「永遠不変な真理」を学べるというのも正しいですし、その一方で「数式を通してその人の考えを学ぶ」というのも正しい気がするのです。
同じ法則を見ても「それをどのように表現するのか」は人それぞれです。そこにその人の数学的センスが現れるのですが…。
「どのような数式を使って表現するか」はその人次第です。そういう意味で数学は芸術や文学と近いと思っています。
数学が「法則」というものを再現しようとする、という点では芸術や文学とは正反対に近い立場なのですが、「数学は芸術だ」という人もいます。
実際、数式を見て「これは美しい」とか、定理を見て「これは美しい」とか、「エレガントな証明だ」とか、数学者は割とこのように話します。
たくさんの記号を見ながら「美しい」というのはちょっと不思議ですが、私自身も「美しい」と感じるものは幾つかあります。
有名なのはオイラーの公式
ですかね。個人的にはこれよりオイラーの定理
の方が好きです。なんせ、これは「指数関数と三角関数が、複素数の世界では同じものとして扱われる」という結構深い定理だからです。
このように、「そこに深い関係がある」とわかると本当に好きになりますね私は。
話が脱線しましたが、そういうわけで私は論文を読む際に「何をその人が考えているのか、その目的は…」ということを気にして読んでいます。
それがわかると一気に掴めた感じがするのです。最も、数学の論文ははじめに定義があって、そこからだんだんと目的に近づくという流れなので最初から読むと理解できないし、あとから読んでも数式が分からなくて理解できなくなるのですが…^^;
楽しいですよ、数学の中にある哲学を知るのは(*´∀`*)
このように物語も「御言葉」という核があってこそはっきりしますし、深くなりますね。
色々な展開を考えるのもいいですが、まずは御言葉を深く知って、ちゃんと消化するところからですね…。
(というか、御言葉の消化のために書いていたのが物語の始まりでした^^;)
この記事を書いたブロガー
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「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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