数学を学んで満足するか、数学を使って、新境地を開拓するか。
こんばんは、satoです。
今日は東京大学の数学科を巡ってみました。
前回関学編でも書きましたが、東大は学部では数学科ですが、大学院になると数理科学研究科となります。そこで、東大の数理科学研究科について調べていたところ…次のようなものを見つけました。
大学院数理科学研究科について|東京大学大学院数理科学研究科・理学部数学科HP
ここには専攻長による学科の説明がありますが、ここの最後の一文を引用します。
当研究科は、自らの内に眠る数理の能力を開発し、あわよくば数理の競技場で世界記録を目指す人や、新分野を発見し人の能力を発揮できる新世界を希求する人たちを歓迎する。 ここに来て、「数学のオタク」になるのも、現代のデカルト・ニュートンを目指すのも、あなたの自由である。
強調部分は私によるものです。
「数学のオタク」…。
なんでしょう、この学生に対して媚びない感じ…。さすが「日本の最高学府」と呼ばれる東大、ただものではありません。容赦がありません。
これを見たとき、私は考えました。 果たして私は「数学のオタク」になってはいないのか?と。
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数学のオタクとは
そもそも、「数学のオタク」とはどういう意味で言ったのでしょうか? しばらく考えて、この摂理の箴言が浮かびました。
数学が好きな人は意外と多いです。その中には実に色々な人がいます。
数式を眺めるのが好きな人。
計算が好きな人。
難解な数学の概念を理解するのが好きな人。
しかし、ただ「数学が好き」という次元で満足し、そこで留まっていたら発展がありません。また、研究をするにしても自分が好きな問題を解いて満足する段階では、やはり自己満足に終わってしまいます。この辺りを差して数学のオタクと言ったのだと私は思います。
私自身も数学、特に数式を見たり、新しい概念を知ることがとても好きです。
でも、心の中で「新しいことを知ることができた」ことに満足していたところがあったかもしれません。そういう意味で、私も「数学のオタク」でした。
現代のデカルト・ニュートンとは
それでは、現代のデカルト・ニュートンとはどういうことか、というと。
デカルトは座標の考えを編み出し『解析幾何』という一つの分野の創始者となりました。また、ニュートンは微分積分学の始祖となりました。これらは現代数学においても基本となるものです。
このように100年先まで通じるような新しい概念・分野を創り出す人材を「現代のデカルト・ニュートン」と表現したのだと思います。
オタクも救われれば…
私は、どっちになりたいか。
もちろん、新しい数学を知るだけでもとても楽しいです。 けれど…。
摂理の教会の先輩が話した衝撃的な言葉がありました。
「オタクも救われれば使命者だ」
もしかしたら、私はこれまで「数学のオタク」で終わる数学研究をしていたのかもしれない。 でも、摂理に来て、神様を知り、救われた。
それならば…。
私も「現代のデカルト・ニュートン」を目指すべきではないか?いや、むしろ目指したい!
この言葉を通して、私は数学研究に対する姿勢を改めることにしました。
神様が共にされるならば、私も「100年先まで」、いや「1000年先まで」残るような新しい分野を開拓する研究者になりたいと。
なれるかどうかはわからない、けど…少なくとも、やらなければなることはできません。
次元を上げることに挑戦しようと決心する時間になりました。 このように導いてくださる神様に本当に感謝します。
この記事を書いたブロガー
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「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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