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第二次世界大戦と数学の歴史~平和の尊さ~

ドイツ・ゲッティンゲン大学。
かつて、そこは数学の中心地であった。
大数学者ガウスやリーマンを輩出し、20世紀数学の方針を決定づけた「ヒルベルトの23の問題」で有名なヒルベルトやエルランゲン・プログラムによって幾何学を新しくしたクラインもここに在籍していた。日本でも「類体論」を創り出した高木貞治がここに留学していた。
多くの有力な数学者が集まり、数学における世界の中心として、大きな役割を果たしていた…あの時までは。
第二次世界大戦。
ドイツでは、ナチスが台頭し、彼らのユダヤ人迫害は大学の教授陣にまで及んだ。
可換環の研究で活躍し、物理学でも貢献した女性数学者エミー・ネーター。
整数論や天体問題で顕著な功績を挙げたカール・ジーゲル。
様々なユダヤ系の数学者が、ドイツを亡命してアメリカに行った。
そして、ゲッティンゲン大学でも…
ヒルベルトの跡を継いでゲッティンゲン大学の数学を支えていたヘルマン・ワイル。
彼は数学、物理学、哲学などで大きな功績を残した。
多くの同僚が大学を後にする中、ただ一人ゲッティンゲン大学を守るために残っていた。
しかし…ナチスの勢力が強まる中、ユダヤ系の妻を持っていたワイルは…
「アメリカ、プリンストン高等研究所」に移ることになった。
こうして、輝かしい歴史を生んでいたゲッティンゲン大学の伝統が、幕を閉じた。
第二次世界大戦
この戦争の間、数学の歴史はほとんど止まっていた。
多くの有力な数学者が亡くなり、大学を追われた。
そして、今。
ゲッティンゲン大学などドイツからの亡命者を受け入れたプリンストン高等研究所が、数学の中心を占めている。そして、現在さらに数学が発展している。
これも、戦争がなかったから。
平和は、数学を含めた全ての文化の発展の土台だ。
今までも戦争になる危機はあったが、紙一重で回避されている。
果たしてそれは…偶然なのだろうか?
それとも、その裏には何かがあるのだろうか?
数学は…それについて、語らない。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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