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リオオリンピック2016:「上に立つ者」に必要な素質

こんばんは、satoです。
今日もリオオリンピックからの悟りを書きたいと思います。

私が経験者だからか、どうしても卓球から来る悟りが多くなるのですが(;’∀’)
今回も卓球女子団体から書かせていただきます。

主将としての福原愛選手の経緯

卓球女子日本代表の主将としてリオオリンピックに臨んだ福原愛選手。
前回ロンドン五輪では銀メダルを団体で取っていて、それ以上の結果が望まれるであろう今回のオリンピック。
主将として導く中でそのプレッシャーは、とても大きいものではなかったでしょうか。

そんな中始まったシングルス。福原選手は準決勝まで行くけれど、メダルは取ることができませんでした。
相手のキム・ソンイ選手のカットを切り崩すことができず、最後はエッジボールで決められてしまいます。
とても悔しい中でしたが、「団体戦でメダルを取りたい」と涙をこらえて話していました。

キム・ソンイ選手は国際大会にほとんど参加していなくて事前にデータを集めることが難しかったです。
その中で、初戦で戦った石川佳純選手の経験はとても貴重なデータです。
ところが、福原選手は石川選手からその経験を聞くことをしませんでした。その理由は

「傷をえぐるみたいで…」

と。
石川選手は接戦の最後、足を痛めて力を出せないまま負けてしまいました。
その時のショックを考えて、あえて聞くことをしなかったわけです。

団体戦準決勝。
福原選手はチームポイント2-2で迎えた最後のシングルスで、マッチ2-2の接戦を繰り広げましたが、エッジボールもあって最後に落としてしまいます。
悔しい、本当に悔しい敗退。
石川選手がシングルスを2つ取ったのですが、自分の出たダブルスも、シングルスも落としてしまい、うまく生かすことができませんでした。

そんな中「敗戦の責任はすべて自分にある」と涙をこらえながら話した福原選手。
その背景には、伊藤美誠選手のことを気遣う思いがありました。
最終セット9-3で迎えながら、最後に逆転されてしまった伊藤選手。今まで経験したことのない敗戦を、大一番の時にしてしまったこと。
その責任を、伊藤選手はどれほど感じていたのか…。
それを感じ、「自分が取り戻せれば」と思いながら話した言葉でした。

3位決定戦。
福原選手は最初の試合を落としてしまいます。またしても、エッジボールで…。
しかし、その後落胆する気持ちを抑え、石川選手、伊藤選手に多く声掛けをし、献身的に心の支えをしていました。
その際、伊藤選手の目線に合わせて声を掛けたことが少し話題になりました。

そして、ダブルスで勝利を挙げ、最後の伊藤選手につなげました。

彼女の特性と主将としての役割

福原選手が主将としてしたこと、それは「チームメイトの心情に合わせて、献身的に支えていったこと」なのかなと私は感じました。
圧倒的な強さで引っ張るのではなく、チームメイトのすぐそばまで近づき、その気持ちに寄り添うこと。
それをしたことがチームとしての力を強くしたのでないかな、と思います。

おそらく、試合におけるメンタルは伊藤選手や石川選手の方が強いでしょうし、安定した実力を持っています。
特に伊藤選手は特殊なフォアを持って敵のドライブを強打できる技術もあるし、どんな大舞台でも楽しめる精神を持っています。
準決勝でのあの敗北、私は内心トラウマにならないか心配でしたが、最後の試合、格上であろうシンガポールのエース相手に動じることなく圧倒していました。本当に切り替えが早いな…と内心うらやましくも思います(笑)

逆に福原選手は試合中でもメンタルが変動しやすいタイプです。
キム・ソンイ選手との試合でも焦って攻撃してミスをすることが多かったように感じました。
あと、とても泣きます。試合後に。それゆえか「泣き虫愛ちゃん」のイメージもとても強いです。それほど「感受性」が強いのだと思います。
しかし、これは試合においては不利な面かもしれませんが、人と接するときにはとても有利に働くこともあるのです。
「相手の気持ちを察して、理解してあげ、寄り添う」。相手の心の支えとなり、癒し、力を与える。
その「優しさ」が、勝負においては不利だとしても、チームをまとめるときにはこれ以上ない力を発揮するのです。

そして、そういう人が「選手」として戦うことは、実は思った以上にチームにとって力を発揮するのです。
あの人のために頑張ろう!という気持ち、士気が高まるのです。

実は私も似たような状況を経験しました。
高校時代、私は部長でしたが、周りには私よりも強い人が多かったのです。同年代でも2人いたし、後輩にもいました。
それでも、私が部長だったのは、自分が「優等生」(先生の言うことをしっかり聞くとか、真面目に授業を受けるとかいう意味で)だったことや、うまい人たちの仲が微妙だった、ということもあります。
しかし、もしかすると先生や先輩は…というか神様は「私の気遣う力」を持って周りを支え、周りに寄り添ってあげることでまとめてほしかったのかな、と今なら思います。
もっとも…当時の私は自分に自信が持てなくてそれをできたかわかりませんが(´・ω・`)

「仕えるリーダー」は、社会でも求められている。

昨今の社会において、リーダーとなる人に求められているのは「能力」だけではないようです。
上から指示を出し、自分の力で引っ張っていくという昔からあるリーダーではなく、部下のところまで降りて共にして、その話を細やかに聞き、反映させるリーダー。
「サーヴァント・リーダーシップ」と呼ばれる「仕える気質」が今の社会で必要となっています。

鄭明析先生はまさに、この姿勢を持たれた方です。
上は先生より年上のご年配の方から、下は小学生まで、それぞれの立場に立って話してあげ、その人が気に入るように接してあげ、様々に考えて話されます。

もちろん、全員がこうなる必要もなくてですね。
石川選手のような「自分を持ったマイペースな人」も、伊藤選手のような「強靭なメンタルを持った人」も必要なんです。
ただ、それをまとめるために「仕える人、つなぎとなる人」が必要なのです。そして、今回それを福原選手がなし遂げた、というわけなのです。
それは、「個性」というものです。

まとめ

自分の心より相手の心を優先させ、その思いに寄り添い、支える。

それが主将としての福原選手のあり方であったのかな、と私は感じました。
(そして、それは私の特性ともかなり近いと感じました)

その結果が、銅メダルとして報われたことに、とても感動しました。

そのようなリーダーに私もなっていきたいです(´・ω・`)

参考文献

福原愛「傷をえぐるみたいで……」キム対策を石川に聞かなかった理由。-NumberWeb

 

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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