ある時、私の生きている世界は、色を失った。
最初はちょっとしたことだった。
今までやりがいを感じていた仕事がちょっとだけ辛くなったり。
熱情を持っていた祈りができなくなったり。
絶対欠かせないと感じていた明け方の礼拝に、少しずつ来れなかったり。
それから、段々と私の中の世界は色を失っていった。
美味しいと感じていたご飯を食べても、何も感じなくなり。
人に心を開くことができなくなり。
自分の内面を見られることが恥ずかしくなり。
そして、心の中から生きる力が失われていった。
ご飯を食べないままずっとスマホをいじる時間が段々と増え。
何をやっても喜びを感じられなくなり。
もう何もかも、どうでもよくなり始めた。
全ての色を失った、この世界で生きる。
それは、彩られた世界を知る私にはあまりに辛いことだった。
だから、私はもっと心を閉ざした。
閉ざして、閉ざして、ひたすら心の辛さを感じられなくなる、その時まで。
もうあの世界には戻れないから。
戻れないなら、いっそ。
理想の世界から遠く離れた、暗い世界を、私は見ていた。
ある時、夢を見た。
目が覚めたとき、私は気づいた。
「私は、取り返しの付かないことをしたのだ」
それから、私は決心した。
もう一度、立ち上がろうと。
今度こそは、完全に変わろうと。
私は、弱い。どんなに頑張っても、弱いのだ。
だから、欲しかった。倒れない土台が。
だから、私は探した。
彩られた世界にいた時からずっと感じていた違和感。
分かっている”フリ”をして、やり過ごしていた様々なこと。
その違和感の先にある、たった一つの宝物を。
「自分に自信がない、けれど私を見ている神様を信じて」
「全てを捧げた人の生」
「言葉の意味より、神様の価値観を知ろう」
こことは違う世界(ものがたり)で見てきた、その先にあるヒント。
それをも使って、私は色のない世界で探し歩き始めた。
好きだったものも全て置いて。
寂しさを埋めるために手放さなかった世界も捨てて。
肉の欲も捨てて。
私は私の中にあるものを捨てて、真っ白になった。
声を頼りに。
御言葉を頼りに。
感動を頼りに。
経緯を頼りに。
啓示を頼りに。
歩いて、
話して、
尋ねて、
考えて、
探した。
そして、ある時、見つけた。
全ての色を失ったこの世界で見つけた、ただ一つの大事なこと。
それは
「私は、神様に愛されている」
ということ。
健やかなる時も、病める時も。
貧しい時も、豊かな時も。
愛する時も、罪の中にいる時も。
神様は私を、愛しているのだ。
全ての色の始まりを、私は見つけた。
自己否定。
私は自分自身を否定していた。
自分の能力、才能は理解していた。
苦手な自分のことも把握していた。
だけど、「神様に愛されている」自分は、否定していた。
恐れていたのだ。
どうしてお前が愛されているのか、と否定されることが。
愛されている、と考えているのはお前だけだ、と否定されるのが。
愚かなことをしたお前を愛するなんておかしい、と否定されるのが。
それが、私の心の闇だった。
だけど、私が「愛されている」と強く認める時。
失われた色が取り戻されていくのを感じ始めたのだ。
今も、私は復活の途上にある。
だけど、これだけは確信している。
「私は、神様に愛されているのだ」ということを。
そして、これだけは決心している。
「私は、神様を愛し続けるのだ」ということを。
この記事を書いたブロガー
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「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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