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摂理人satoの月明洞訪問記2016一日目

こんばんは、satoです。
パスポートも無事に見つかり、前日韓国に入れました。
入国審査で少しだけ引っ掛かりましたけど笑
さらにボールペンを持っていくのを忘れるという…普段は有り余るほど持っているというのに、何故にこの時に限って…OTL

まぁそんなトラブルもありつつ、約一年ぶりの月明洞!

普通の感覚からすると一年って短くも思うのですが、月明洞は常に変化しているので一年でも結構見違えるほどなのです…。
実際、昨年ボランティアで作業していたところに松の木があったり、滝の造形が完成していたり…。そして、工事現場のようなところもありました。
そう、そここそが今年ボランティア作業のメインとなっている岩の造形「宴会場」です。
初日であるこの日はこの岩の造形のボランティアができることになりました。
それも、実際に岩を立てて造形を作る作業の手伝いです。

実は私、今回のような岩の造形で岩を立てる作業を直接見るのは初めて。
摂理に来てから7年以上、月明洞でのボランティア作業も何回かやりました。
鄭明析先生が岩の造形を作る過程を映像を通して見たり、月明洞のボランティアの風景を写真で見ることはありましたが…しかし、この目で直接見るのは初めてでした。

実際に岩を立てる作業に携わると…ただ見るだけとは違いました。
一つの岩を立てるにも、とても多くの過程がありました。野心作にある岩は、ただポンと岩が立っているわけではないのです。
何tもの岩をただ土に立てるのはとても危険です。何故なら岩の重みで土が沈んで傾いて倒れたり、雨が降ったときに土が緩んで倒れてしまったり、ということがあるからです。
なので、岩を置くところの岩盤を砕いたり土を堀り出し、そこに砂利を埋めていきます。
もちろん、砂利と土の間に隙間があると不安定になるのでしっかりとならして平らにします。
そうしてから岩を立てるのですが、ぴったり岩がはまるということはありません。なので、その間に平らな石を敷き詰め、岩が立てられるように支えていきます。
うまくいかなければ一旦岩を戻して、周囲を削ったり必要な石を用意したりします。

一つ一つの作業がとても大変で、時には危ないこともあります。
そのような中で立てられた岩の一つ一つを見ると、とても誇り、といいますか、うまく言葉にできませんが、感慨深かったです。
そのような過程を経て改めて野心作の岩を見てみると、本当にその雄大さ、神秘さが感じられました。
あの岩を立てるにも小さな砂利があるのか…とかあの小さい石が支えているんだ…とか、見方が広がった気がします。

立てられた岩を見ながらすべてのものが岩をなければ岩が立てられないということを深く実感しました。
砂利、小さな石、岩。
どれが欠けても岩が立たないのです。
そして、そのように私自身がなければならないのだ、という価値と自負心が湧き上がりました。
私という存在が必要不可欠な存在であること。今まで言葉でだけ知っていましたがそれを実体として感じた瞬間でした。

また、指示に積極的に従うことで、実際に岩が立てられる瞬間を直接見ることができました。
もし「受け身」でやっていたなら、すぐに動くことができずにその機会を逃していたと思います。
このように神様が言われたことに速く従うと違う世界が見えるということを感じました。

このほかにも多くのことを学びましたが、すべてを言葉にすることはできません。
でも、確かに多くのことを学び取りました。それを生活でも活かしていきたいと思います。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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