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摂理人satoの月明洞滞在記2015~与える祝福~

与えた分、さらにくださる神様。

こんばんは、satoです。

月明洞にディアボロを持って行った私。それを通して人と交流できる機会が持てました。そして、さらにもっとすごいことが起こりました。今日はその話です。

ディアボロの演技を見せる機会

私は摂理に来て以来、ディアボロを賛美に合わせて演技することを何回かしていました。

月明洞でも一度賛美に合わせて演技をする機会がありました。それはお昼ごはんの弁当を待っている間「目印になるかな」と思ってしたことがきっかけでした。結構人が集まっていたのですが、皆さん爆笑してました。

いや、ディアボロの技を見て感嘆するのですが、その後のアピールで皆さんウケるんです(笑)

振り返ってみれば、これもすべて「神様が作ってくださった笑顔」なんです。

詳しくは別途書きますが、初めての発表会の時、神様にお祈りしながら練習した時に、初めて「心から笑える」演技になったのです。そういった経緯のあるディアボロだったからこそ、神様が笑ってくださったのだ、と信じます。

行なった分、与えてくださる神様

実はこの時、一人の牧師さんがちょうど来られて、私の演技を見てくださいました。その方もとても楽しんでくださいました。

その後、この方が御言葉を伝えてくださったのですが、その中にこういうものがありました。

あなたはあなたにしかできないことで天に覚えられなさい

私たち一人一人は必ず「自分にしかできないこと」というものがあります。また、人とは違うことをしてこそ覚えられる、ということもあります。

果たして、私はどうやって天の目を引こうか?

それを考えながら行なうことが愛なのだ、と教えてくださいました。

ディアボロを披露した私にとって、その御言葉が自分のもののように感じられました。

ディアボロを通して、神様との経緯ができた。そのことが一番嬉しかったです。

 

今回ディアボロを見て「これはいつ演るんですか?」と何人かに聞かれましたが、

私は

「御心の時になったら…」

と答えてました。それは、最初に書いたアドバイスを意識してのことでしたが、このように神様は最高の時に演技をするようにしました。本当に感謝です。

そういえば…今回の月明洞滞在では「与えること」が多かったのです。

お世話になった方にお土産を買ったり

ボランティア作業をしたり

今回のディアボロもそうです。

私は元来受けることより与えることの方が好きだなと改めて思いました。与えるほうが、助けるほうが、大好きなんですよね。

でも、それはすべて神様が与えてくださったからなんです。

私にとって問題だった「心の問題」。常に平安を感じられず、人の目を気にしていたこと。

その問題を時間を掛けて回復させてくださったこと。

そして、この摂理に来て、神様の愛を教え、誤解を解いて深く受けられるようにしてくださったこと。

私の拙い頑張りをすべて受け取ってくださったこと。

それがあるから。特に今年は…すべてを話すことはできませんが、自分に自信を持てるようにしてくださいました。神様が自信の根源となってくださいました。

だから、最初は気づきませんでしたが、今回の月明洞には

受けた恵みをお返ししたい

という霊の思いがあって来たのだ、ということが分かりました。

その思いすらすべて分かって、神様が受け取ってくださいましたが、さらに神様は大きく与えてくださいました。

希望となる御言葉。

笑ってくれる人々。

そして、自分という存在に対する自信。

与えることがもらうことよりずっと祝福だからだ。

これは月明洞滞在時に聞いた明け方の啓示の一部を抜粋したものです。

私も、自分が受けたものをもっと与えられる人になりたいと思いました。

次は…

月明洞に次に来るときはもっと次元を上げてディアボロも見せて差し上げたいです。もっと神様と対話しながら練習して、もっと楽しく、かっこ良く、神様を楽しませて差し上げられる演技をしたいです。

実は月明洞に来たらこの賛美で演技をしたい、という構想がありました。今回の訪問時にはあまり練習ができませんでしたが、次までには練習してしっかりとその演技ができるようにします。

…こういう次の約束が、神様との愛の対話、です。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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