何もない日常を愛する、それがこの時代に必要なこと。
こんばんは、satoです。
クリスマス礼拝を捧げた私が、その御言葉を聞きながら感じたこと。それは
何もない普通の日常こそが一番貴重である
ということでした。ここでは「どうしてユダヤ教の人が「天の雲に乗って来る」メシアだけ信じたのか」、「日本の状況」について書きたいと思います。
どうしてユダヤ教の人は「非現実な」預言を信じたのか
まず、ユダヤ教の人は
エジプトについての託宣。見よ、主は速い雲に乗って、エジプトに来られる。エジプトのもろもろの偶像は、み前に震えおののき、エジプトびとの心は彼らのうちに溶け去る。 -イザヤ書19章1節
といった「天の雲に乗って来られる」という非現実な預言だけを信じて
それゆえ、主はみずから一つのしるしをあなたがたに与えられる。見よ、おとめがみごもって男の子を産む。その名はインマヌエルととなえられる。-イザヤ書7章14節
といった「地上から生まれる」という現実的な預言は無視していました。その結果、「地上から普通の人として来られた」メシア・イエス様を無視して、迫害、殺すまでに至りました。
このようなことがどうして起こったのでしょうか?
そのことを知るために、イエス様が来られた時代のユダヤ人の状況を考えてみましょう。
イエス様が来られたとき、ユダヤはローマの属国でした。
ローマは政教分離を国是とし、ユダヤ人のアイデンティティでもあるユダヤ教を軽視した政治をしていました。(税収とか慣習に反する法律とか)そのため、ユダヤ人はアイデンティティを傷つけられていました。また、ユダヤ人の周りでは戦争が多く、多くの国が争い、ユダヤの地を得ようとしていました。
ユダヤ人はこの状況から抜け出すことを願っていました。
そう、かつてエジプトの奴隷となっていたところからモーセによって救われたように。
彼らにとっての救いとは自分たちをローマやその周りの多くの敵、自分たちに対する不当な扱いから抜け出すことでした。
さて、そういう状況から抜け出すために、何が必要だと考えますか?
少なくともその状況が一瞬にして変わるためには「普通の人」では難しいでしょうね。
それこそ「天の雲に乗って来られる」ような異能力者をイメージします。
私だったら雷と炎を手から出して、「すべての軍勢を一太刀で全滅させる」剣を持っていて、空を自由に駆ける…そんな存在をイメージしますね。
そんな認識の彼らが「普通の人として来た」イエス様を見て
こんな人が、私達をローマから、不当な扱いから出してくれるのか!?
と考えるのは、ある意味で自然なことと思います。
一方で、彼らは「どうして自分が生きているのか?」について、言い換えると「自分の人生に対する疑問」はそこまで考えていなかったように思います。
何故かと言うと、ユダヤ人の多くは「神様を信じ、律法を守る」という強いアイデンティティを持っていたからです。
そして、特に上層部の人は宮の納入金や捧げ物によって潤沢しており、そこまで生活で困苦していなかったわけです。
このように、「律法」という宗教でアイデンティティも生活も成り立っている彼らにとって、新しい教えである新約の御言葉、そしてそれを伝えるイエス様を自分の生活の破壊者と捉え、迫害していったのではないかと思います。このことを裏付ける話ととして…様々な聖句にイエス様を「律法に反する」と話す律法学者やパリサイ人の場面があります。
わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。-マタイによる福音書5章17節
とイエス様はおっしゃいましたが、これは律法を壊すと考えていた既成の人々の思想を読み取ってのことでしょう。
ユダヤ人の当時の状況は、今の私達にも当てはまる
ユダヤ人の当時の状況は現代社会、特に日本の状況と多く重なる部分があります。
1995年以前、日本はバブルが崩壊し、これまで「一度会社に就職すれば、時間が経つごとに給料も上がって安泰」という社会制度も崩壊しました。就職もそれまでのように簡単にできなくなりました。
これによって、社会から与えられる「安定した生活」が崩壊しました。つまり、「自分の将来に対する不安」というのが普通に生きても起こるようになったわけです。
そんな中、1995年に起こったのが
オウム真理教による地下鉄サリン事件
でした。これによって、人々は「宗教」や「神話」を土台にしてアイデンティティを作ることに不安を感じるようになりました。言い換えると内面における心の拠り所の崩壊です。
バブル崩壊と地下鉄サリン事件、この二つによって、それまで世の中にあった「外部から与えられるアイデンティティ」と呼ばれるものが喪失しました。
そして、それ以来日本社会のシステムは大きく変化しました。いや、今もしています。
少子高齢化による社会の変化、経済状況の悪化、特に社会弱者と呼ばれる人たちが淘汰される状況。
色々な主張をする団体が増えました。左翼/右翼、また過激な活動をするゲリラ団体、またカルト宗教など…。
これは外的状況の改善と、アイデンティティの回復を求める欲求の現れでもあります。
このアイデンティティの喪失はすべての人が潜在的に感じているようで、多くの人は「普通に」生きる日常からの脱却を目指しています。それは、旅行に行く人が増えたり、様々な(過激とは限らない)活動をする人が増えたりすることに出ています。それは今までにない刺激を求める人々の欲求の表れです。
そういった人たちの受け皿の一つがアニメ作品などを含めたサブカルチャーでした。そのサブカルチャーの変遷を見ると、こういった世の中の変化が見えます。それはそのような欲求に答えることで買ってもらえるからというわけです。
というわけで、サブカルチャーの変遷を見ようと思いますが…また長くなったので次に…(;´∀`)
この記事を書いたブロガー
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「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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