おはようございます、satoです。
本日は昨日読んだヨハネの黙示録の描写で気づいたことがあったので、それについて書きたいと思います。
そもそもヨハネの黙示録とはどんな内容なのかというと…
パトモス島にいたヨハネが幻でイエス様から先のことについて受けた啓示
なのですが、これはもともとアジヤの7つの教会に向かって伝えられたものでした。
1:9あなたがたの兄弟であり、共にイエスの苦難と御国と忍耐とにあずかっている、わたしヨハネは、神の言とイエスのあかしとのゆえに、パトモスという島にいた。 1:10ところが、わたしは、主の日に御霊に感じた。そして、わたしのうしろの方で、ラッパのような大きな声がするのを聞いた。 1:11その声はこう言った、「あなたが見ていることを書きものにして、それをエペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、ヒラデルヒヤ、ラオデキヤにある七つの教会に送りなさい」。
口語訳聖書 ヨハネの黙示録1章9〜11節
ここでイエス様の様子について、次のような描写がされています。
- 7つの金の燭台の間にいる
- 足までたれた上着を着、胸に金の帯をしめている人の子のような者
- 雪のように白い羊毛に似て真白な頭と髪
- 燃える炎のような目
- 炉で精錬されて光り輝くしんちゅうのような足
- 大水のとどろきのような声
- 右手に七つの星を持っている
- 口から鋭いもろ刃のつるぎが出ている
- 強く照り輝く太陽のような顔
- 初めであり、終り
- 生きている者である。
- 死んだことはあるが、世々限りなく生きている者
- 死と黄泉とのかぎを持っている
その後、各教会に向けての啓示の言葉が書かれているのですが、ここで注目したいのがイエス様についての表現が教会ごとに違う、ということです。
端的に言うとその後の教会の内容に合った表現となっているのです。
エペソの場合
2:1エペソにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。
『右の手に七つの星を持つ者、七つの金の燭台の間を歩く者が、次のように言われる。…2:5そこで、あなたはどこから落ちたかを思い起し、悔い改めて初めのわざを行いなさい。もし、そうしないで悔い改めなければ、わたしはあなたのところにきて、あなたの燭台をその場所から取りのけよう。
口語訳聖書 ヨハネの黙示録2章1−5節
最初にエペソの教会に向けて書かれた言葉には「右の手に七つの星を持つ者、七つの金の燭台の間を歩く者」と表現されていますが、この七つの星、七つの金の燭台というのは七つの教会である、ということが書かれています(1章20節)。
それを踏まえると7つの金の燭台の間を歩く者、というのはつまり「金の燭台を移動させることができる」、言い換えると「教会を治めている主」であることを表しています。同じく「7つの星を持つ者」というのも教会を司るものであることを表しています。
そして、この表現が5節の「悔い改めないなら、あなたの燭台を取り除けよう」という描写と繋がっているのです。
スミルナの場合
2:8スミルナにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。
『初めであり、終りである者、死んだことはあるが生き返った者が、次のように言われる。…2:10あなたの受けようとする苦しみを恐れてはならない。見よ、悪魔が、あなたがたのうちのある者をためすために、獄に入れようとしている。あなたがたは十日の間、苦難にあうであろう。死に至るまで忠実であれ。そうすれば、いのちの冠を与えよう。
口語訳聖書 ヨハネの黙示録2章8−10節
次はスミルナの教会ですが、ここでは初めであり、終わりである者、死んだことはあるが生き返った者という表現がされています。実際、イエス様は十字架に架けられた後復活し昇天なさいました。また「初めであり、終わりである」というのは神様の表現の一つでもあるのですが、神様は全ての人の命、その運命を握っておられる方であります。
この表現を踏まえて10節の「命の冠を与えよう」という描写に注目してみます。
この言葉は「これから来る苦痛があるが、死に至るまで忠実を尽くす」ことをすることで「命の冠を与える」と書いていますが、全ての命を司る神様、そして神様によって復活を成したイエス様が伝えるからこそ「命の冠を与える」という言葉により強い力を感じます。もし普通の人が「命を助けるよ」というのと、神様がそういうのでは大きく違いますよね…。
先生がベトナム戦争に参戦した時です。戦場で敵軍が先生の3m前の木の後ろに隠れ、銃を構えて引き金を引こうとしていました。その時、世の中のどんな人だとしても、その瞬間先生を助けることはできませんでした。
鄭明析先生の主日礼拝の御言葉「私の心は私に尋ねてみなさい」より
神様に「助けてください」と祈ったら、神様の声が聞こえました。「あ~い~し~な~さ~い~~」とおっしゃいました。先生はそのとおりに行なって助かりました。
このように<神様の御言葉一言>が、世の中の誰も助けることができない死の場所で、助かるようにしました。全能者<神様の御言葉>一言がこのように大きいということです。
ペルガモの場合
2:12ペルガモにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。
『鋭いもろ刃のつるぎを持っているかたが、次のように言われる。…2:15同じように、あなたがたの中には、ニコライ宗の教を奉じている者もいる。 2:16だから、悔い改めなさい。そうしないと、わたしはすぐにあなたのところに行き、わたしの口のつるぎをもって彼らと戦おう。
口語訳聖書 ヨハネの黙示録2章12−16節
ペルガモの教会には「鋭い諸刃の剣を持っている方」と表現しています。
ここで、鋭い剣というのは御言葉の比喩の一つです。
というのは、神の言は生きていて、力があり、もろ刃のつるぎよりも鋭くて、精神と霊魂と、関節と骨髄とを切り離すまでに刺しとおして、心の思いと志とを見分けることができる。
口語訳聖書 ヘブル人への手紙4章12節
その鋭いつるぎのような御言葉を持って「彼らと戦おう」と話していますが、彼らというのは「ニコライ宗(というイエス様の教えと異なる考え・宗教)を信じている人」です。このように違う考えに流れる人たちに対して御言葉を与えることでその考えを切り離し、本来信じているイエス様の御言葉に立ち返らせる、ということを願っているのですね。
テアテラの場合
2:18テアテラにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。
『燃える炎のような目と光り輝くしんちゅうのような足とを持った神の子が、次のように言われる。… 22:22見よ、わたしはこの女を病の床に投げ入れる。この女と姦淫する者をも、悔い改めて彼女のわざから離れなければ、大きな患難の中に投げ入れる。 2:23また、この女の子供たちをも打ち殺そう。こうしてすべての教会は、わたしが人の心の奥底までも探り知る者であることを悟るであろう。そしてわたしは、あなたがたひとりびとりのわざに応じて報いよう。
口語訳聖書 ヨハネの黙示録2章18−23節
テアテラの場合は「炎のような目と真鍮のような足」を持った神の子と表現されています。
このうち炎のような目という表現は「炎が燃えるほど注目している」ことを表していますが、実際、テアテラの教会にいる「イゼベル」のような女を病にし、その人と通じている人たちも患難の中に入れる、と話し、「人の心の奥底までも探り知る者である」神様、イエス様のことを的確に表しています。
真鍮のような足についてはちょっと自信がないですが、25−26節の「ただ、わたしが来る時まで、自分の持っているものを堅く保っていなさい。勝利を得る者、わたしのわざを最後まで持ち続ける者には、諸国民を支配する権威を授ける。」が該当するのかなと思いました。
ヒラデルヒヤの場合
3:7ヒラデルヒヤにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。
『聖なる者、まことなる者、ダビデのかぎを持つ者、開けばだれにも閉じられることがなく、閉じればだれにも開かれることのない者が、次のように言われる。 3:8わたしは、あなたのわざを知っている。見よ、わたしは、あなたの前に、だれも閉じることのできない門を開いておいた。なぜなら、あなたには少ししか力がなかったにもかかわらず、わたしの言葉を守り、わたしの名を否まなかったからである。
口語訳聖書 ヨハネの黙示録3章7−8節
ヒラデルヒヤの教会に対しては「ダビデの鍵を持つ者、開けば誰にも閉じられず、閉じれば誰も開けない者」と表現し、イエス様の教えを堅く守った彼らに対して「誰も閉じることのできない門を開いた」と表現しています。
ここで、イエス様が門であるという表現をされていたことも併せて注目したいです。
そこで、イエスはまた言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。わたしは羊の門である。 10:8わたしよりも前にきた人は、みな盗人であり、強盗である。羊は彼らに聞き従わなかった。 10:9わたしは門である。わたしをとおってはいる者は救われ、また出入りし、牧草にありつくであろう。
口語訳聖書 ヨハネによる福音書10章7-9節
…他にもサルデス、ラオデキヤの教会があるのですが、これについてはちょっと自信がないので本日は省略します。もし何かわかったら改めて追記したいと思います。
このように本筋ではないですが、イエス様の表現と教会に対する御言葉の内容がリンクしているのが素晴らしいなと感じました。聖書の整合性に改めて驚かされました。
この記事を書いたブロガー
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「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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