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神様と閻魔大王は違うのよね

おはようございます、satoです。
今週は恵みと真理という御言葉だったのですが、「恵み」についていろいろ考える機会となりました。
神様が与えてくださる恵みの中で一番大きいのは「正しく知ること」ではないかと思います。
なんせ、正しく知らないことによって自分が行えず損をしてしまうからです。

そういうわけで、今週は自分の今までずれていた信仰の認識を正す機会が与えられたのですが、その中で大きかったのが「神様って閻魔大王と違うのね…」ってことです。
というのも、私は昔から親の影響で心霊番組を見ていたり怪談を読んでいた影響で、霊がいる世界についてもイメージがありました。天国や地獄のイメージもありました。
だからこそ「人は死んだら天国や地獄に行く」ということについてはすんなりと受け入れられたのですが、問題なのはそれが「聖書や摂理で教えられるものと少しずれている」ということでした。

閻魔大王といえば、死んだ人の霊の前に現れてその人の生前の行いを見て天国か地獄かを定める存在と言われています。
閻魔大王がいるかどうかはさておき、このイメージを神様に対しても持っていたのです。
だから、「死んだ後神様の前に来て、神様によって天国か地獄に連れていかれる」と考えていたのです。
つまり、天国はもちろん、地獄も神様が行かせると思っていました。

しかし、今週の御言葉を聞いているうちに神様は天国に行かせたい/地獄には行かせたくないということに気づいたのです。
神様は人間に対して初めから天国に行かせることを目的としているのです。
その根拠はいろいろありますが、一番わかりやすいのは「イエス様が十字架で亡くなる直前にイエス様のことを認めた強盗を一緒にパラダイスに連れていった」ことです。

十字架にかけられた犯罪人のひとりが、「あなたはキリストではないか。それなら、自分を救い、またわれわれも救ってみよ」と、イエスに悪口を言いつづけた。もうひとりは、それをたしなめて言った、「おまえは同じ刑を受けていながら、神を恐れないのか。お互は自分のやった事のむくいを受けているのだから、こうなったのは当然だ。しかし、このかたは何も悪いことをしたのではない」。そして言った、「イエスよ、あなたが御国の権威をもっておいでになる時には、わたしを思い出してください」。イエスは言われた、「よく言っておくが、あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」。

口語訳聖書 ルカによる福音書23章39−43節

この強盗がどのような生を生きていたかは分かりませんが、少なくとも(人間の目から見た時にも)罪人と言えるでしょう。
悔い改めて正しい行いをする時間もなかったと思います。しかし、彼が死の直前にイエス様を認める、このことによってパラダイスに行ったのです。
これはイエス様のことを認めるということがどれほど大きな義なのか、という話でもありますが、同時に「それだけ罪を重ねた人でも心を改めれば天国に連れて行きたい」という神様の愛を表す一面もあると思います。

ではどうして地獄に行く人がいるのか。
地獄に行くのは「自分が喜んで」行くのだ、という摂理の御言葉があります。
つまり、神様がこの人は地獄だ、と決めていくのでなく、「自分で地獄の道に行っている」のです。
もっと言うと、天国に行く方法は神様と遣わしたイエス様しか知らず、教えてもらって一緒に行って初めて行ける場所なので、「知らないと勝手に地獄に行ってしまう」のです。

このことに気づいてから、神様は如何なる手段を持ってでも「霊が天国に行ける」ようにしている、その心情を受け止めることができました。
その神様が自分を選んでここに呼んでくださったことが本当に嬉しかったのです。このことに感謝してもっと頑張って信仰生活をしていきたいです。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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