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摂理の箴言「確認と直感」の生活

おはようございます、satoです。

摂理では毎朝礼拝を捧げているのですが、そこで鄭明析先生の箴言を聞きます。
あまりにもたくさんの箴言を聞いてきたのですが、過去聞いた中から私の生活に出てきたものをいくつかピックアップしてみたいと思います。

まずは、免許を取る時に仮免試験(正しくは修了検定でした…)を受けたのですが、実技で一度「確認ばかりしていてカーブでふくらんだ」という失敗をしました。
無事に再度試験を受けて合格し、その後無事に免許を取得できたのですが…この次の日の朝に出てきた箴言でこんなものがありました。

確認するところに時間を全部使っていて「時」を逃す時がある。-20161018鄭明析先生の明け方の箴言より

まさに、これは…。
そう、私は若干神経質なところがある故、失敗できないときほど「確認」ばかりしてしまいます。
もちろん、確認することは大事なのですが、そればかりして「カーブを曲がる時」を逃してしまったみたいな失敗をするのです。
確実に行ける!って時でないと動けなくなったりとか…はよくあります(´・ω・`)

どうしても、確実に行けるって保証が欲しくなるのです。そうでないと取り返しのつかないことになりそうで…不安に苛まれてます。
そんな私に、こんな箴言もありました。

例えば、午前中ずっと山うさぎを追いかけていたが、逃げて行ったとしよう。
午前中ずっと無駄骨を折って歩いて帰ってくる時、目の前に葛(くず)のつると草の茂みがあった。「うさぎ」のようでもあり、「石」のようでもあり、「草が乾いて、もこっと盛り上がっている」ようにも見えた。
この時<知恵>はもっと近くに行って確認することではない。横に石があるから、拾って投げてそこに当てなければならない。そうしてから確認するのだ。
うさぎなら、午前中ずっと追いかけて行ったうさぎを捕まえたのだ。
このような時は<確認>する必要がなく、<感じ>ですることが「知恵の判断」だ。-20161018鄭明析先生の明け方の箴言より

<感じ>で行う…というのは本当に大事です。特に未知の世界、道なき道を行くことの多い研究においては。
たとえば、私が今研究していることについて、いくつか計算した結果「このようなことが一般に成り立つだろう」という命題を予測しました。
最近この命題について「このようにやったら証明できるのではないか?」という感じがしたので、再度証明を試みました。
そうしたら、思ったよりは簡単に…と言ってもやや複雑でしたが…証明の半分を終えることができました(*‘∀‘)

計算の過程でいくつか「このような性質が成り立つだろう」という直感はあったのですが、今回証明する過程でそれらに対してちゃんと成り立つことを論理的に「確認」しました。
これがちょっと面白かったです。今までなんとなく、と言っても何回か計算したり考える中で見出した「直感」が、証明するときにしっかりとした数式と論理という形で現れたのが面白かったです。
まさに、

感じと霊感と予感がしたら、進みながら行ないなさい。そうすれば確認できる。-20161018鄭明析先生の明け方の箴言より

この箴言の通りでした。

しかし、「失敗できない」と考えると不安になり、一人で抱え込んでしまう私…。

神霊になるためには、深く祈って、三位の考えと一体になりなさい。

もっと祈って神霊になりたいです。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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